お弁当とか、追加!とか、

あれこれ


まだこれからすべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
頑張ろう、日本!

 

ワタクシの住む市には学校にお弁当を持っていく日がある。
公立学校なので基本は給食なのだが、年に数回はお弁当を持っていく。
どうやら親子でお弁当をつくることでふれあいの機会をってことらしい。
そんなことしなくてもふれあってるし、迷惑な制度だ。
(と、妻が言ってた)

本当に子供たちが早起きしてお弁当つくっているのだろうか。
多くは親が作ってるんじゃないのかなって気もするのだけど。

朝、キッチンで11歳児がお弁当づくり。
こういうところは妙に真面目。
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ふーん、なかなか上手いんじゃない。
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対して、長男は全然起きてこない。
いつも通りギリギリに起きてきた。

「今日はお弁当つくって持ってくんじゃないの?」

「あっ!あああ!間に合いません」

「可愛い弟クンがつくってくれてたよ」

「スミマセン。ありがとうございます」

面倒な制度と困った長男である。

 

さて、頼んでいたブツが届いた。
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Cocoさん、食べものじゃないよ。
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adidas SuperStar2
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もう一足、ブラックシューズが欲しくて追加。

スーパースターといえば、ワタクシが子供の頃からのド定番モデル。
小中とバスケットボール部だったワタクシにも馴染みの深いシューズである。

ワタクシたちの時代、バスケ少年はまずオニツカタイガーを履いた。
その頃の定番がこれ。
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オニツカタイガー・ファブレ
これは数年前に復刻されたもの。
一度も足を入れずに保管してある。

あの時代、アディダスに手を伸ばした子供は少なかった。
きっとすごく高かったのだろうし、
スーパースターなんかを履いていれば目立つので、
それなりに上手くなければねぇって感じだった。

調べてみたら、スーパースターの発売は1970年なんだそうだ。
小学校時代を重ね合わせると発売数年後だから、
やっぱり高嶺の花だったのだろう。

実はスーパースターを履いたのは、高校のテニス部の頃。
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このソールパターンがナイキのフォレストヒルズと同じだったので、
目立ちたかり屋のワタクシは白に赤ラインのスーパースターでコートに立っていた。

今にして思えば、こんなゴツくて重いシューズでテニスをするなんてのは
パフォーマンス低下も甚だしい所業であるが、当時はカッコいいと思っていた。(赤面)

その後、大学生の頃はIVYスタイルの定番スニーカーは
コンバース・オールスターかアディダス・スタンスミスか
このスーパースターってことで何足も揃えた憶えが。

さらにその後、RUNDMCのブレークでスーパースター大ヒット。
そういえば、RUNDMCの初来日ライブにも行った記憶が。
NHKホールだったかな。
今思えばRUNDMCにNHKホールは似合わないよね。

とまあ、あらためて恐ろしくロングセラーのシューズである。
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シュータンはペラの皮から少し厚手に変わっている。

スーパースターの特徴であるトウ部分のゴツさはそのままだ。
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ここがスタンスミスやアディダス・オフィシャルとの大きな違い。

足を入れてみた。
相変わらず無骨で重い履き心地は昔のままである。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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