カヌレとか、ドラムとか。

お店

新しいお店ができた。

カヌレ専門店だって。
カヌレってなんだ?専門店てやっていけるのかな。
ちなみに以前は高級食パン屋だった。
健闘を祈る。


さて、最近欲しいもの。

電子ドラムだ。

大昔、友達のバンドの助っ人でドラムを叩いたことがある。
本格的にやっていたわけではないが、なんとなくエアーでずっと練習していて
「手伝って」と言われたので、参加してみた。
それほど難しい曲を演らなかったので、出来たのだと思うが、
思い切りドラムを叩くのはとても気持ちよかった。

昔は、電子ドラムなんて無かった。
いや、まったくないわけじゃなかったのだろうけど、
電気的に音が出るドラムといえば、YMOで高橋幸宏氏が叩いていた
シンセドラムくらいじゃなかっただろうか。

初めて組んだバンドは中学生の時。
友達のスダくんがドラムセットを買って家に置いていた。

普通の住宅街の一軒家だし、当然、音を出して思い切り叩けるわけもない。
スネアドラムの上に漫画を置いて、消音で練習がせいぜいだった。

ドラムセットは気軽に動かせないから、練習はドラムのあるスダくんの家に集まる。
ベースのヤマダくん、エレキギターのワタクシが集まって、アンプも通さず練習する。

ワタクシのギターは従兄弟のお兄ちゃんから借りたテレキャスター。
メーカーも分からないような、ペラペラのエレキだった。

アンプを通さないで弾く安物テレキャスターは、
テレキャスの特徴的な「乾いた軽い音」を通り越して、ペラペラ、シャリシャリと
「安い音」を出していた。

ヤマダくんのベースはYAMAHAのそれなりのものだった。
アンプを買うお金まではなかったので、やっぱり生音で
ボコボコとしょぼいものだった。

スダくんのドラムは唯一、ちゃんと音の出る楽器だったが、
ちゃんと音を出したら、大変なことになるから、
上に置いた少年マガジンを叩いて、ペチペチと悲しい音を出すのみ。

スタジオを借りるお金もないから仕方がない。


ちなみに当時、練習していたのはKISS。
DETROIT ROCK CITY


LOVE GUN

田舎の中学生が、友達の畳の部屋で演る曲じゃない。(笑)
3人ともKISSが好きだったし、たぶん簡単そうだったから。

ペラペラ、ボコボコ、ペチペチと練習をしているうちに悲しくなってきた。
オレたちが演っているKISSのステージは、火柱は上がるわ、煙は出るわ、
花火は上がるわ、口から血糊吐いてるじゃないか。

せめて音を出したいという欲望に勝てなくなったワタクシたち。
アンプはないけどカセットデッキにギターとベースをつなぎ、
ドラムセットの上の少年マガジンを外して・・・

せ〜の!!!
ダダダダ!ダダダダ!ダダダダダダダ!!!(LOVEGUNのイントロね)

イントロが終わらないうちにスダくんのお母さんが飛んできた。
「あんたたち〜!なにやってんの!」

そりゃそうだ。(笑)

というわけで、今やドラムもヘッドフォンで演奏出来る時代。
値段もそれなりにこなれているし、いいんじゃないかと思ったのだが、
「いったいどこに置くの?」的な空気が。

ドラムってボケ防止にいいんじゃないかな。(そんな理由?)
どうでしょね、買っていいすか。


ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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