田口プロ参戦!とか、VANジャケットは永遠にとか。

テニス

REC FESTAに田口涼太郎プロの参加が決まった。

関口周一プロ、尾﨑里紗プロの参加に続いてのビッグニュースだ。

ツアーの予定が確定せずなかなか最終決定ができなかったが良かったぜ。
今年、プロデビューしたTeam RECのニューカマーも参加と、
ますます楽しみなREC FESTAである。

当日はプロクリニック以外はフリー参加可能なので、ぜひお越しください。
5月4日はレックインドア テニススクール上石神井で楽しみましょう!

さて、青春のブランド。

それは、VANジャケット。

1948年に石津謙介大先生によってつくられたアイビーブランド。
一大アイビーブームを巻き起こし、VANの紙袋を小脇に抱えて歩くのがオシャレだった。

ワタクシはそれに遅れてきた年代だが、小学校の時にアイビーに目覚め、
小学生ながらボタンダウンのシャツを着て、コッパンを履き、
アイビーベルトをし、ローファーを履いていた。

ちなみにコッパンというのは、コットンパンツ(綿パン)のこと。
今でいうチノパンみたいなもの。
アイビーベルトはツートンのベルトのこと。


ワタクシの住む福島市にはVANショップはなかったので、
在来線で何時間かかけて仙台までアイビーファッションを買いに行った。
思えば、小学校の頃にこんなことをしていたわけだから、
高校時代にエレッセのポロシャツを買いに
池袋のウインザーに行ったのもなるほどそりゃそうだである。

とにかく、あの頃、IVYがカッコ良かった。
ネイビーブレザーはパッチポケットにフラップ付き。
そして三つボタンに段返りに、バックはフックベンツ。
こだわりと掟に夢中になった。

まさにIVY、そしてVANはライフスタイルの先生だった。

そんなVANジャケットも時代の流れなのか、
放漫経営のせいなのか、好きなことをやりすぎたのか倒産。


大学で東京に出てきた80年頃、時代はまだまだトラッド。
SHIPS、CREW’S、BOAT HOUSEなど、トラッドがアレンジされ、
皆がロゴ入りトレーナーを着て、トップサイダーのデッキシューズを履いていた。
当然、ワタクシもすべてのアイテムをもれなく網羅していた。

そんなアイビーからハマトラ、プレッピー、サーファー全盛から
時代は、BALLやMarithe + Francois Girbaud(マリテフランソワジルボー)などの
イタリアンカジュアルが一世を風靡し始める。

もちろんワタクシもペダルプッシャーのジーンズも履いて、
オープンからのシャツも着てたけど、結局はIVY(トラッド)に戻った。

そんなアイビーの先生は本場のブルックスブラザースではなく、
やっぱりVANジャケットだったし、バラクーダのG9というよりは、
VANが名付けた「スイングトップ」だった。


ということで、倒産したVANジャケットだが、
商社によってブランドは残され今もショップは展開されている。

思えば50年くらい昔の話なんだな。
でもこのVANロゴは永遠だ。

ちなみにキャッチフレーズは今も、というか長らくはこちら。
for the young and the young-at-heart

でも、ワタクシ世代だと・・・
FOR THE ACTIVE MAN
    AND
 MAN OF GOOD TASTE

なんだよね。
分かる人は同年代ね。

とにかく、VAN JACKETは永遠なのだ。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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