テレキャスとか、トラウマラケットとか。


まだこれからすべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
頑張ろう、日本!

 

楽器屋の前を通りかかった。
ちょっと寄り道。

テレキャスター、欲しいな。

昔はストラトとかレスポールが好きだったけど、
ここ数年は何故かテレキャスが好きなのだ。

シャリシャリの音、キースリチャーズみたいな不良性に憧れるのか。
いや、たぶん軽いから・・・。
レスポールなんてもう重くて抱えてられないもんね。
って、年寄りか?オレは。

思えば、初めて持ったエレキギターはテレキャスターだった。
従兄弟に借りたノーブランドのヤツ。
ヘッドに刻印も無いし、ボディもペラペラだった。

エフェクターもファズのみ。
ラジカセのマイクジャックにケーブルを突っ込んで
無理矢理音を歪ませたのを憶えている。

でも、テレキャスターでKISSとかDeep Purpleのコピーは
今ひとつハマらなかったな。
あの頃はやっぱりストラトとかレスポールが欲しかったっけ。

あ、そういえばストラト、友達の家に置きっぱなしだ。
代わりにYAMAHA SG借りて来たんだっけ。
これでテレキャスター欲しいって言っても一発却下だな。
そもそも最近はギター弾いてないし。
ガマン、ガマンと。

 

さて、懐かしラケットである。

YAMAHA 45

ボルトで留められたブラスチックのブリッジが特徴的だった。

これは飾りガットもついていた。

当時はこのヤマハマークがたくさん見られた。

これは80年代後半に一世を風靡したラケット。
男性プレーヤーが使っているのはあまり見なかったが、
女性プレーヤー、特に主婦層に圧倒的に支持されたモデルだった。
公営コート、テニスクラブにはこのラケットを持った方がたくさんいた。

ワタクシ、この頃はコーチ駆け出しで右も左も分からないうえに
戦歴、実績、実力、人脈のどれも持っておらず(今も無いんだけど)、
一体この先どうなるのだろうと必死でもがいていた。

とにかく練習と数少ない知り合いのコーチを渡り歩き、
練習をつけてもらっては相手にならずに恥をかき、
セミナーを探しては片っ端から受講し、
レッスンでも今思えば赤面ものの理論を振り回していたような気がする。

そんなワタクシだから、コーチとしても認めてもらえなかったのだろう。
毎日のようにクラブに来る主婦プレーヤーの方々には
色んな意味でプレッシャーをかけられたっけ。

小さいテニスクラブだったので、人間関係も小さく閉鎖的で
誰がどうしたとか、あの人は気に入らないとか、
そんな声が嫌でも聞こえて来たりして、
結婚の先にあるのはこういうものなのかと
自分は一生独身でいようと心に誓ったものだった。

そんな下積み時代を思い出すこのラケット。
ある意味、ワタクシにとってはトラウマなラケットなのだ。
辛かったなぁ、あの頃。(遠い目)

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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