虎ノ門とか、レッテルとか。

仕事

初めて行った。

虎ノ門ヒルズだ。

ディズニーの本社にも初めて行った。

当然、撮影不可だったけど、想像通りすごいオフィスだった。
こんなところで働けたらなぁって思うような仕掛けがたくさんあった。
さすがディズニー。

さて、レッテルの話。

レッテル
① 文字。
② 商品名、商標、効能、用法、発売元などを記して商品にはりつけた紙片。 ラベル。 
③ (比喩的に) 人物の特徴や格づけ、事物の内容を一面的にきめつける短い文句。
〜コトバンクより〜

ちなみに「レッテル」はオランダ語、「ラベル」は英語なんだとか。
どちらも同じ意味だ。


ということで、3番目の意味。
人にはたくさんのレッテルが貼られている。

「いい人」
「あいつは悪いヤツ」
「仕事しない」
「信用できる」
「信用しちゃいけない」
「頼れる人」
「器が大きい(小さい)」
「器が小さい」
「すぐ怒る」
「取り扱いには注意」

まあ、とにかく人はたくさんのレッテルをぶら下げて生きている。

そのレッテルはどれも他人が勝手に貼ったものだ。
大きなお世話である。まったく。

歳を重ね、関わる人やキャリアが増えるにつれ、
レッテルはどんどん増えていく。

そのレッテルは正しい表示なのか。

正しいとも言えるし、正しくはないとも言える。
貼る人によって変わることも少なくはない。
貼った時期によっても違うだろう。

利害の対立関係にあった人はネガティブなレッテルを貼るだろうし、
良好な関係や利害関係のなかった人はそれなりのレッテルを貼るだろう。
昔のことで貼られたレッテルがずっと残っていて、
一向にアップデートされていないこともあるだろう。

人の評価(レッテル)も玉石混交ってことだ。

一定の傾向はある。
皆が口を揃えて、「あいつは信用できない」レッテルを貼ったならば、
その人にはそういう傾向があるのだろうとは思う。
評価は1回の何らかではなく、積み上げてきたものだからだ。



きっとワタクシにもたくさんのレッテルが貼られている。
それなりの年数を生きているし、ひとつの業界で長いし。

やっかいなことに自分に貼られたレッテルはハッキリは見えない。
何となくは見えるが、それも確かではない。
「キミ、こんなこと言われてたよ」と教えてくれる人は少ない。
むしろそんなことをわざわざ言ってくるヤツはろくなものではない。(笑)

機会は少ないが、「あなたはこういうタイプだよね」と言われることもある。
正直、ムッとすることも少なくない。
若い頃は「大きなお世話です」「決めつけないでほしい」と思った。

が、最近はこう思うようにしている。

”ワタクシがそういう人だということではなく、
その人にはワタクシはそう見えているのだ”と。

その人にワタクシのすべてが分かるわけもない。
あくまでファクト(事実)は「そう見えている」ということだけ。
そう思うと、腹も立たないというか・・・

ただ、同じレッテルは無いとはいえ、一定の方向性はあるんだろうなぁ。

それほど愛想はない。
思ったほど、話が弾むタイプではない。
付き合いもあまり良くない。

って、おいっ!!

時折、すべてのレッテルを剥がしたくなるときがある。
誰も知らない場所で再スタートとか。
子供の転校願望ってそういうことだよね。

まあ、レッテル気にする年じゃないし、
いまさら人格が変わるわけもないし、いいか。
「アイツ最悪、ひどいヤツ」とかじゃなければいいわ、もう。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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