破損とか、ジュニアテニスとか。

テニス

16歳児。
「シューズが壊れました」という。

見れば、バボラのシューズのレースホールが切れていた。
それほど履いていないのに・・・。

会社のバボラJETの在庫を社割で買って渡した。
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「穴が空きました」

ウソでしょ?まだ1週間しか履いてないよ。
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うーん、絶妙に強化パーツを外している。
どんなフットワークしてるんだ。

そういえば菊池玄吾プロも1週間でシューズ履きつぶしてたなぁ。
鈴木貴男プロは「玄吾はスライドしすぎ」って言ってたっけ。

シューズってこんなに消耗したっけ。
「大事に走れ」ってわけにもいかないしね。
難しいところだ。

 

さて、16歳児は相変わらず学校とテニスの毎日。

それにしてもテニスってお金がかかる。

その昔、ワタクシの高校の頃、
「テニスはお金持ちのスポーツ」ってイメージがあった。
テニスを始めようと思った時、
まず頭に浮かんだのが「お金かかるのかな」ってこと。

あ、いやウソだ。
まず頭に浮かんだのは、テニスウェアの女子と
楽しくラリーをしている姿だったっけ。(すみません)
まあ、その淡い期待は入部初日で見事に裏切られたけど。

とにかくテニスはお金が掛かるものと思っていた。
実際、入部したものの何も持っていないので、
道具を揃えなければいけなくなった。

まず先輩から言われたのはシューズ。
ゴースドスター何とかっていう布シューズを買わされた。
たしか5,000円くらいだったろうか。

ラケットは「まだ買わなくて良い」と言われた。
テニス部に入って、どうしてラケットが要らないのだ?

それは1年生はランニングと球拾いしかしないから。
まさに昔の部活である。
まあ、その話はまた今度。

当時のラケットは当然ほとんどがウッドラケット。
国産のフタバヤ、カワサキ製が6,000円くらいだったか。

ヤマハのYFG30というグラスファイバー製のラケットが12,000円だったろうか。
ヨネックスもGRAFLEXという
グラスファイバーモデルを出していたが、値段は知らない。

海外ブランド、ウイルソン・ジャッククレマーになると16,000円くらいした。
アディダスのGRANDPRIX(?)とかいうグラファイトは3万円オーバーだったような。
T2000は・・忘れた。
部内でもひとりくらいしか使ってなかったかな。

で当然、ウッドだからヘタるし折れる。
数本揃えないと試合には臨めないから3~4本抱えることになる。

そして折れれば買い替え。
ストリング代も掛かる。

当時はゴーセン・ハイオーシープ(ブルースパイラル)を張っていた。
1,500円くらいだったか。

張りは行きつけのショップでマシンを使わせてもらっていたから
タダだったか、何らかの手伝いをしてカンベンしてもらっていたか。

そこにウェア。
カワサキ・DEFI、ジョン・ニューカム、フレッドペリーとか。
ラコステも着たっけ。
2年生になってからはアディダスATPモデルを着ていた。

とまあ、やはりお金は掛かったんだと思う。

親はテニスにどれくらいお金を使ってくれたんだろうと思って
ざっくり計算してみたことがある。
部活の高校生だから、今のクラブジュニアとは比べ物にはならないが、
それでもかなりの金額だった。

やっぱりテニスというより、スポーツはお金が掛かる。
親には感謝しかない。

とにかくスポーツはお金がかかる。
教育もだけど。
大変です。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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