価値観が変わったのは震災ではなく退職だった|仕事と組織のリアル

生き方

最寄駅から自宅までの間は、アウトレットモール、ホテル、公園しかない。

いちばん駅に近いマンションなのだ。
歩いて7分かかるけど。

さて、ある人の価値観が変わったというお話。


例えば、東日本大震災のときの話だ。

彼は当時、日本全体の先行きに強い不安を感じていたという。
テニススクールのように平和な日常が前提となるビジネスは成立しなくなるのではないか——
そんな危機感さえ抱いたそうだ。

多くの人が「命」や「生きる意味」について考え、
「悔いのない人生を」「今を大切に」「好きなように生きよう」
といった価値観の変化を経験したと言われている。
しかし彼自身は、そこまで大きく心境が変わったわけではなかったという。

というのも、自宅の対応に加え、会社の施設復旧やインフラ対応、
計画停電への対処など、目の前の業務に追われ続けていたからだ。
理想や哲学よりも、今日と明日をどう乗り切るか。
その現実対応に集中せざるを得なかったのが実情だった。

結果として、3.11そのものが彼の価値観を劇的に変えたわけではなかった。

むしろ、彼の価値観を大きく揺さぶったのは、
その後の「退職」という出来事だったという。

それまでの彼は、仕事がとにかく面白くて仕方がなかった。
休みたいとも、サボりたいとも思わず、むしろ主体的に働き続けていた。
やればやるほど、自分の目指す姿が形になっていく。
そのプロセス自体が強いモチベーションになっていたそうだ。

もちろん、理不尽なことやストレスもあった。
それでも、施設づくりやチームづくり、ブランド構築といった
「何かを創り上げていく」醍醐味の前では、些細な問題に感じられていた。

「こんな会社にしたい」「こんなスクールをつくりたい」

そうしたビジョンを具現化していく時間は、非常に充実したものだったという。

また、その経験ができたのは、挑戦の機会を与えてくれた会社、
そして経営トップの存在があったからだと彼は語る。
自身がすべてを創ったわけではないが、組織の成長と変化の一翼を担えたことに対して、
今でも感謝の念を持っているそうだ。
さらに、その経験が後のキャリアにも明確に活きている点も含めて、感謝しているという。

しかし、ある時期から状況は一変する。

ある会議でトップと意見が対立した。
彼としては建設的な議論のつもりだったが、どうやらそうは受け取られなかったらしい。
その出来事を境に、風向きが急激に変わったという。

以降、彼は業務や権限を次々と剥奪され、発言や行動にも制約がかけられた。
部下や外部関係者との接触まで制限される状況に置かれたそうだ。

「そんなことが」と思うかもしれないが、これはしばしば上位者が用いる手法でもある。
「俺の言うことを聞かないとこうなるぞ」ということ。
実はよくあることでもあるのだ。

その状態が続く中で、彼はキャリアの選択について深く葛藤する。
そして最終的に出した結論は、
「このままでは心身が持たない。まずは環境を離れるべきだ」というものだった。

ただし、退職を申し出た際には、今度は逆に強い引き留めが入ったという。
ここまで権限を奪っておきながら辞めさせない——
その矛盾に戸惑いながらも、他社への流出を警戒されたのか、
あるいは別の意図があったのかと振り返っている。

最終的には組織を離れることになったが、そのとき彼が強く感じたのは、
「自分がこれまで積み上げてきたものとは何だったのか」という問いだった。

会社を共に創っていくつもりで尽力してきた。
ブランドにも組織にも強い思い入れがあった。
しかし、個人の思いとは無関係に、人の評価や関係性は変わる。
それは止められないし、当然のことでもある——他人である以上は。

ここで彼は一つの本質に気づく。

「評価されること」や「頼られること」は、裏を返せば極めて不安定な基盤でもある。
トップや上司の判断ひとつで、立場は容易に覆り、居場所は失われる。
つまり、他者に軸足を置くキャリアはリスクが高い、ということだ。

一方で、唯一消えないのは「自分が何をしてきたか」という事実だけだとも考えるようになった。
だからこそ、それを積み上げ続けるしかない——そう結論づけた。

また、組織にいる理由についてもシンプルに整理した。

「価値を提供できるからそこにいる。提供できなくなれば去る」

これは冷徹にも見えるが、ビジネスの本質でもある。
どこにいても「もう必要ない」と言われる可能性はある以上、
相手に意思がない状態で居続けることに意味はない、と彼は割り切った。

労働法や制度の話とは別次元で、組織に属していること自体が安定を保証するわけではない。
信じていた関係性やポジションも、上位者の意思決定ひとつで一瞬にして失われる——
その現実を実体験として理解したという。

そして最後に、彼はこう振り返る。

そもそもこの業界に入った当初、自分には実績も経験も人脈も資金もなかった。
いわばゼロからのスタートだった。
だからこそ、「またゼロから始めればいい」と考えれば、大抵のことは乗り越えられる。

その経験を通じて、彼は一度、自身の価値観をリセットしたのだという。


実はこの話には続きがある。

上記は彼からの見え方、当然相手側からの見え方もある。
経営者の知人と話している際、そんな話になり、
なるほど反対側からすると・・・と思ったことがあった。

その話はまた機会があれば。

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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