クマ?とか、出世とか。

仕事

金沢は津幡町総合運動場。

熊が出るのね。
注意してもなぁ。
音たててれば出てこないのかな。

さて、出世ってしたい?って話。

30年ほど前、20代中盤だったワタクシは行き詰まっていた。

ほぼひとりで切り盛りしていたスクールを辞め、
数店舗を展開しているテニススクール運営会社に入社したのだが、
ワタクシ的な夢や希望や、こうあるべきってことが全然通らないのだ。

周りの社員はほぼ全員年上の先輩方。
まず、まったく話を聞いてもらえない。

・これからのテニスコーチは先生ではいけない。
・テニスが強いのとレッスンが上手いは別。(テニスが強いにこしたことはないけど)
・コーチは「教えてやる」ではなく「楽しく上達させる」ガイドであるべき。
・「生徒」ではなく「お客様」
・これからのテニススクールはレッスンの質だけではなく、サービスの質も問われる
・テニスコートにフェルト屑やゴミがあってはいけない。毎日掃除が必須。
・契約メーカーの商品は「使ってやってる」ではなく「契約いただいている」と思うこと。
・コーチはテニス用品も売る、テニスのトータルアドバイザーである。
・レッスンは決まった時間に始まり、決まった時間に終わること。(勝手に何十分も延ばさない)

今聞けばすごく当たり前のこんなことの数々を提案するのだが、
先輩方はいっこうに聞いてくれない。
「それで何人、生徒増えるの?」
「コーチが掃除なんて」
「コーチは物売りじゃない」
「まずはお前のレッスン見直せよ」
「試合したらオレが勝つだろ?」
「若いね〜。それは理想だよ」
とか。


自分としては、テニススクールはこのままのやり方では業態として生き残れない。
学校ではなくサービス業であるべきと強く思っていたのだが、
テニススクール花盛りの時代を過ごしてきたからなのか、
先輩方にはまったく響かなかった。

前職の某大手スポーツクラブチェーンでは、すでにCS(顧客満足)経営を目指し、
ニューオータニだったか、帝国だったか、オークラだったか忘れたが、
いわゆる当時の御三家のホテルで総支配人によるサービス研修を受けたりしていた。

末席に加えていただいたワタクシも「これがこれからのスポーツ業界なのか」と、
深く感じ入り、フィットネスもテニススクールも変わっていくに違いないと思ったのだが、
いざ、街場の民間スクールに行ってみると、これまでの「コーチ=先生」という
意識は1ミリも変わっておらず、それでも何とかなっていた。

実はそれでは何とかなっていなくて、以降、様々な危機に直面するのだけど、
「いいレッスンすれば、勝手に生徒は来る」的な意識は変わらなかった。

その時、何を思い、何をしたか。
「改革するには、まず偉くなること」と思った。
こりゃ、上に行かないと何も出来ないなって。

年齢は動かせないが、ポジションつまり指示命令系統は変えられるはず。
上に立って、指示を出せるようになれば良いのだと考えた。

何だか、「踊る大捜査線」の織田裕二と柳葉敏郎の会話みたいだが、
実際にそうしなければ事は動かないし、体質も変わらないと思った。
そういう意味で、単純に出世は必要、出世しなきゃと思った。

とはいえ、思ったからといって出世ができるほど、世の中は甘くない。
・・・という話はまた今度。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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