アメ車とか、気づけば開幕とか。

テニス

STINGRAYだって。
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コルベトじゃないよね。
でもアメリカンが雰囲気がプンプン。
いいかも。

注:50過ぎのオジさんは乗りません。

 

ざて、なんでだか分からないけど、毎日バタバタだ。

次から次に予定が入ってきて、断らないもんだから、
アポイントやらミーティングやらが数珠繋ぎ状態。
ひとつ予定がずれ込むと、次、そしてその次と予定がずれていく。
玉突き事故だね、これ。

それもこれもギリギリで予定を組むワタクシが悪いのだ。
正確に言うと、ギリギリじゃなくて、どんな移動方法使うの?
どこでもドア?って感じの予定を組むのが悪いのだな。(確信犯)

間で電話が入ってもなかなか折り返せなかったりと、
ホントに皆さんごめんなさいって感じ。
忘れてるわけじゃないのでご安心を。って、安心できないか。

 

そんなこんなしてたら、全日本選手権が開幕してしまった。
今年はTeam RECからは、竹島駿朗プロ、守谷総一郎プロの2名が出場。

関口周一プロは海外ツアーのために今年はパス。
何とかポイントを稼いで、全豪オープンの予選に掛かってほしいところだ。

正林知大プロは補欠の2番目だったが、思ったほど欠場者が出ずに入れなかった。
残念、また来年頑張ろう。

そして今年の全日本は無観客での開催。
選手とコーチ、一部の帯同者のみが会場入りを許されるという厳戒態勢。

何とか会場入りできないかなと思い、コーチ就任作戦を思いついた。
竹島プロのコーチなら文句ないだろう。
ってことで、竹島プロに聞いてみた。

「駿朗くん、ボクと契約する気はないかい?」

「え?どういうことですか」

「良かったら、ボクがキミのコーチになってあげようかってこと」

「コーチ・・ですか。どうして」

「コーチなら全日本の会場に入れるんでしょ」

「あ、なるほど。いいアイデアかも」

「だろ!」(って、コイツのってきた)

「登録しますか?ただ、PCR検査と選手と一緒にホテルと会場の往復だけですけど」

「そうなの?外に出られないの?」

「たぶん行動区域は制限されます」

「そりゃ無理だ。仕事あるし」

ということで、駿朗のコーチ作膳は露と消えた。
まあ、そもそもこの週は有明に行く時間なんて全然なかったけど。

 

昨日も会社で打ち合わせを2本終えたら、
次の予定の日本プロテニス協会に間に合うかどうかって時間。

とりあえず事務局に「遅れるかも」と電話。
ダッシュで会社を出たら奇跡的に滑り込みセーフ。
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ミラクル!

無事に会議がはじまった。

と、ボスからLINE。
「駿朗、ピンチ。負けそうだ」

そうか、駿朗が試合してるんだ。
ちょっとだけライブ配信をのぞき見。
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ファーストセットを取られ、セカンドも劣勢。
かなり厳しい。

もう一度のぞいた時には負けていた。
残念。
島袋くん、強いなぁ。
竹島プロの今年の全日本は初日で終了。
次に向けて頑張ろう。

そして中継コートではなかったが、守谷プロは勝利。
次も頑張ろう。

何とも不自由な全日本選手権だけど、
こんな時もあったよねって思える日が来ることを祈るばかりだ。

はあ、忙しかった。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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