ローバーとか、チームとか。

スポーツ

某所にて。
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ランドローバー・ディフェンダーかな。
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ちょっと古めでいい感じ。
乗ってみたいな。

 

さて、懐かしいものが出てきた。
ステッカーである。
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懐かしいと言っても、誰も知らないと思う。

そりゃそうだ。
もう30年以上前の故郷である福島のローカルチームだし。

 

高校生のころ、入り浸っていたスポーツ店。
毎日のように練習帰りに寄ってた。

そこにいたスタッフ、Nさんが少し年上で何かと面倒を見てくれた。

ガット張りもその人に教わった。
いつしか、「自分のは自分で張って」となった。
もちろん多少のお金は払ったけど。

しばらくしたらお客様のも張らせてもらったような。
さらには棚卸しのバイトもさせてもらった。

 

しばらくして、高校生のワタクシたちをうまいこと使っていたNさんが、
自分でお店を出すことになった。
もちろんスポーツショップというかテニスショップである。

共同経営者のSさんはサーファーってことで、
その店はテニス&サーフショップだった。

ワタクシたちも開店前から準備のお手伝い。
品出し、ディスプレイ、掃除等々、はじめての開店準備はとても楽しかった。

何より、その店はセレクトショップ的な要素もあって、
当時はなかなか手に入らなかったアパレルやグッズがたくさんあった。

トップサイダーのデッキシューズ。
こんなカッコイイシューズがあるのかと衝撃だった。
たしか2万円オーバーだったけど買った。

コールハーンのローファー。
リーガルのローファーとサドルシューズが高級品だと思っていた
田舎の高校生には超高級品だったけど、やっぱり買った。

他にもディッキーズのワークパンツ等々、雑誌でしか見たことのないアイテムが
アイビー少年を自負していたワタクシたちを虜にしてくれた。

 

さらには休日は一緒に遊びに。
ウッドパネルのサニーカリフォルニアにテニスギアとラジカセ、
クーラーボックスに大量の氷とバドワイザーを詰め込み、
山方面のコート付きの貸別荘へ。

プリンスのTシャツを着て、音楽をかけてテニス。
汗をかいて喉が渇いたらバドワイザーである。
あれ?高校生だった?
いや気のせいだ。たぶんもう大学生。

 

その後、クルマは当時まだめずしかったボルボワゴンだったり、
ランクルに大きくチーム名を入れたりと、
そんな感じでショップ名のチームをつくって遊びまくった。

皆で揃いのアップを着て、テニスをしたり、街を歩いたり、試合に出たり。
(試合はワタクシはほとんど出なかったけど)
なんか浮ついてたけど、楽しかった。

部活で汗まみれで練習だけしてきたワタクシたちに
遊びやファッション、様々な楽しみ方を教えてくれた先生だった。

あの時期にNさん、そしてあのお店に出会えたことは、
ワタクシ(たち)の人生に大きな影響を与えてくれた。

今はもうそのお店も無くなっちゃけど、
あんなふうにとんがったお店に集った仲間たちのチームってのが
ホントに楽しかった。

冒頭のステッカーをクルマに貼るのが誇らしかったっけ。
もうこの2枚しか残っていないし、チームもないから貼らないけど。

みんなもういい歳だし、これも昔話だけど、
浮ついたオヤジになりたいなってのは今も変わらない。

最近は帰省してゴルフで会うくらいだけど、
またテニスコートでもヘラヘラしたいな。
うん、そうしよう。
また集まろう!

って、帰れてないのはオレか。
TEAM ROBINSONのみんな、またね!

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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