まだこれからすべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
頑張ろう、日本!
「ストリングが切れました。張ってください」と14歳児。
ポリにしたとはいえ、やっぱり切れる。
これから先、もっと消費するんだろうな。
家にストリングマシンがあって良かった。
どうか壊れませんように。
ちなみに、14歳児のリクエストはなかなか細かい。
「もう少しだけ飛んで、スピンが引っかかるようにお願いします」
言い方は敬語だけど、とんでもないこと言ってるぞ。
その前に打ち方考えろよ。
さて、帰省最後の夜。
30年ぶりの友人と、人生で初めて飲んだ。
アライくんとは小学校2年生からの仲。
ワタクシが転校してきた学校で同じクラスになり、
ボーリングが縁で家族ぐるみの付き合いに。
アライくんは小学校中学校とサッカー部。
ワタクシはバスケットボール部だった。
同じ高校に入り、二人ともサッカーもバスケもやめるつもりだった。
じゃあ、楽しそうなテニスでもと安直にテニス部に入部。
いや正確にはまだ部にもなっておらず「テニス愛好会」だった。
「愛好会だし楽しくて楽そう。女子もいそうだし」というのは完全な勘違い。
連日、素振りとランニング、そしてコート作りという
想像とは全然違うテニス部生活が幕を開けた。
それでもお互いテニスが性に合ったのか、
テニス漬けの生活で毎日が過ぎていった。
そしてもう少しのところでインターハイを逃し、
ワタクシたちの高校テニスは幕を閉じた。
大学はバラバラ。
最初の頃こそ帰省しては会ったものの、
ワタクシは関東の生活が楽しすぎでまったく帰省せず、
徐々に疎遠になっていった。
昨年か今年か、facebookでつながり、互いの生存を確認。
ようやく再開となったというわけ。
昔は(大っぴらに)酒を酌み交わすような年齢ではなかったので
こうして飲みに行くような付き合いは初めてなのだ。
海鮮をつまみながらこれまでの人生を報告し合う。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと・・・
ヤツが言った。
「お前をfacebookで見つけてさ、今もテニスで食ってるって、
すげえなぁっていうか、うれしかったよ」
「色んな人に出会って、助けてもらって、
こうしてテニスに関わっていられるって、
ラッキーっていうか、感謝感謝って感じだよなぁ」
それぞれに道があって、それぞれに信じて、もがいて、
ヤツはそこに東日本大震災があって・・・
1日ずれて辞令が出た赴任地に着いていたら、
津波にのまれていただろうってことも聞いた。
まあまあ飲んでヤツが言った。
「もう一軒行こう」
「いいよ、まだ早いしね」
楽しい夜である。
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