サービス練習とか、バンドその2とか。

音楽


まだこれからすべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
頑張ろう、日本!

 

2ヶ月に1回実施している若手社員対象の研修会。

何かと荷物が多く、車でレックンドアテニススクール上石神井へ。
渋滞を避けるために早めに出たら、10時からの研修会なのに
7時前に着いてしまった。

最近はあまり持ち歩かない自分のラケットも持ってきたので
サービス練習をすることに。
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久しぶりに真面目に打つ。
上手く各部が連携しない感覚がずっと続く。

徐々に体が慣れてきた。
球種、コースを変えつつ、100球ほど打つ。

ストリングのへたりも確認したいので
何本かを取り替えつつ、さらに100球。
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HEADばっかりだな。(苦笑)

次の日、これまでにないくらいに肩から背中が筋肉痛。
やっぱりやてないとダメだな。
ボールを打つ機会を増やさないとね。

ああ、肩痛い。

 

さて、昔話の続き・・・

部活を引退したら受験勉強に専念すると親に言ってしまった手前、
堂々とベースを鳴らすわけにもいかず、練習は夜中。

もともとベースアンプは持っていないので
ソニーのラジカセのMICジャックに無理やりケーブルをつなぎ、
ヘッドフォンでコピーをした。

エレキベースでも多少は音がするだろうから、
ミュート気味で練習していたつもろだが、
ジャンルはハードロックってこともあり、
指ではなくピックで弦を弾いたから
やっぱり音は出ていたのかもしれないけど。

注:当時、ヘビーメタルという言い方は無かった。たぶん。

 

1回目の練習。
多分、ドラムのヤツの自宅だったと思う。

高校生なのに何故かアパートの一室みたいな部屋で
ドラムセットやらアンプやらが揃っていた。

六畳くらいの狭い部屋だったから、
メンバーがポジションにつくと、
そのまま身動きできずに最後まで演奏するって感じ。

こんなアパートみたいな部屋で音を鳴らして良いのだろうかと
疑問に思うワタクシにお構いなく、大音響で演奏が始まった。
フォークならまだしも、ハードロックをガンガンに弾き倒し、
ドラムを叩き倒すオリジンバルメンバーの二人。

ワタクシ、中学時代に初めて組んだバンドで
友人宅に集まって、1,2,3!とKISSのLOVEGUNを始めたら、
そいつの家のお母さんが飛び込んできて、「バカァ!あんたらなにやってんの!」
とイントロすら終えられなかったのだが、そこは不思議なアパートだった。

ちなみに初回の練習はワタクシの耳コピが間に合わず、
かなりいい加減にベースを弾き倒した。
たぶん、彼らは「コイツ誘ったのは失敗だったか」と思ったに違いない。

ワタクシはといえば、
「誘ったオマエらが悪い。オレだって勉強しなきゃいけないんだよ」
と開き直りつつも、何とか次回までにコピーしなきゃと思ったりした。

そして親が寝た夜中に、ヘッドフォンではヴォンヴォン(音が割れてる)、
たぶん生音では、ベンベンと低い音を出しながら練習は続いた。

受験はどうするんだって気持ちもあったが、
いちおうの責任感はあるので、
メンバーに迷惑はかけられないなって感じだったのだろう。

それにしても、小学校から9年間マリンバを習い、
6年生の終わり頃からギターを弾き始めたのに
どうして譜面が読めないのだろう・・・

そんな高三の秋のはじまりだった。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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