欠品とか、思い出の街とか。

仕事

サイゼリヤにて。

白ワインください」
「すみません。切らしてます」

ウソでしょ。
で、仕方なく赤ワイン。

サイゼリヤでそんなことあるのか。
そういえば以前、ココイチカレーで、
「すみません。ご飯切らしてまして」って言われたことあったっけ。

さて、数年ぶりのクロスバイクでの帝釈天詣で。

2時間弱かけてお参りできたのはいいけど、まあまあ疲れた。
同じ工程で帰ると心が折れそうだったので、
昔住んでいたあたりを巡りながらユルユルと帰ることに。

ああ、ここまだあるのね。
ここは台風で水没したっけなぁ。
ここは修羅場一歩手前だったっけ(意味不明)とか。

で、思い出の地、総武線は本八幡駅付近へ。

大学生の頃、毎晩飲みに行っていたジャズバーへ。

沖縄料理の店に変わっていた。
ずいぶん雰囲気違うな。

あの頃は毎晩のようにアルバイト先の常連のお姉さんたちと
この店で朝まで飲んでた。

お金を払った記憶はまったくないのだけど、
たぶん彼女たちが払ってくれてたんだろう。

この店でジャズを覚え、サントリーホワイトの味を覚え、
ポップコーン&醤油&七味をシェイクしたつまみだけで
延々と飲めることも覚えた。

明け方自転車に二人乗りでお姉さんを送り届けて、
家に帰って昼まで寝てた。

思えば、あの頃、ちゃんと彼女もいたけど、
毎晩、お姉さんたちと遊んでたのはなぜ?
う〜ん、不思議な時代だったなぁ。

そして毎晩、喫茶店の仕事終わりに通ったサイゼリヤ。

今は創業の地として保管してある。

当時は創業者のご兄弟が二人で店を切り盛りしていた。

焼肉ライスもハンバーグライスもサラダも手作りで美味しかった。
アットホームなサービスも良かった。
まあ、そりゃ、毎晩行けばね。

徐々にお店が増え、ある時から出店が加速し、
今はそんな面影も感じられない一大チェーンになってしまったけど、
あのサイゼリヤの起源に立ち会えたことは貴重な経験だった。

規模なのか、サービスなのか・・・う〜ん、テニススクールだったらどうあるべきか。
なんてことを考えながら、思い出の街を巡りながら、考えを巡らしながら、
ゆっくりゆっくり家路につく。

色んなことを教えてくれた街。
原点を忘れずに前に進めればなと思った正月だった。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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