花火とか、和解とか。

テニス

17歳児のテニスのお迎えに出た。

信号待ちをしていたらマリンスタジアムから花火。
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スタジアムの花火はたしか7回であがる。
つまり時間はまちまち。
今日はラッキーだ。

次の信号待ちはスタジアム横。
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短い時間だけど楽しませてもらった。

 

さて、17歳児の試合。

学校の試合は来て欲しくないということだったが、
せっかく休みなんだし、会場は人だらけなのでそっと観にいったその日

初戦はなんとか勝ち上がり。
次の試合まで時間がありそうだったのでちょっと食事に。

会場に戻るもまだ試合前。
しばらく人混みに紛れて他校の試合を観ていた。

・・・「来たんだ」・・・と声が。

振り向くと17歳児。
見つかってしまった。

「ごめん。遠くから見てるからいいでしょ」
と言うと、何も言わずに行ってしまった。

夜、17歳児が帰って来た。
食事をし、何も言わずに部屋へ。

まあそもそも最近はあまり喋らないので、そんなものかと思いつつ、
やはり決して機嫌が良いようには見えない。

次の日も、その次の日もあまり喋らない。

17歳児の部屋に行き、聞いてみた。

「怒ってるの?」

「はい。ちょっと」

「やっぱりそうなんだ。そんなに見て欲しくないの?」

「・・・」

「公認大会は連れて行って試合見て。学校の試合はダメってのはなんで。」

「・・・」

「別に会場で声掛けるわけでもないしさ」

「来るなら事前に言って欲しかったです」

「聞いたら、ダメって言ったんじゃない」

「その場で見つけたら精神状態が・・・」

「まあそれはあるけど。でもそもそも来るなってのはどうなんだろう」

「試合に向かう気持ちつくってるんで」

生意気言うなと、ちょっと頭にきた。
どんだけキミのテニスに協力してるんだと思ってしまった。

「もういい。今後一切、観に行かないよ。
もう部活だけでやってくれ。自分のできる範囲でテニスしてくれ」

「・・・」

「送り迎えして、ガット張って、試合に連れてって・・・なんだかなぁ」

結局、物別れで終わった話。

次の日、17歳児はテニスを休んだ。
もう行かなきゃ行かないでいい。
部活でテニスはできるんだし。

次の日はテニスに行ったらしい。
夜、間に合いそうだったので、迎えに行くことに。

練習を終え、車に乗り込んだ17歳児。

「すみません。せっかくテニスやらせていただいているのに・・
感謝の気持ちを忘れて生意気なことを言ってしまいました。
すみませんでした。
テニスやらせてください」

言葉が出なかった。
やっと・・・

「うん、こっちもゴメン。
試合前に余計な波風を立てて悪かった。
試合を観たい気持ちが勝ってしまった。
キミの気持ちも考えるようにする。申し訳ない」

ということで、和解はしたが難しいところだ。
たしかに学校生活に親が干渉するのは嫌な年代だよなぁ。

高校生の時、ワタクシの試合、親は観にきたことあったっけなぁ。
うーん、覚えてないぞ。

でも部活の仲間はしょっちゅう家に来てご飯食べて泊まってたから、
学校生活不干渉というよりは合宿所みたいな感じだった。

「あの子たち、よく食べたよね〜」

「お前が帰ってきてなくても、皆ウチに帰ってきてたし」

母親は今も部活の仲間たちのことをよく覚えてる。
もうそういう時代じゃないのはわかるけど、
もう少しオープンでもいいんじゃない。

ちなみに長男も17歳児も他人様には超神対応だ。

マンション上階のおばあさんなんて、
「いつも気持ちよく挨拶してくれて、
エレベーターも、どうぞなんて待っててくれるんですよ〜」
とべた褒めだ。

親には・・神対応しないか、ふつう。
それにしてもどういう距離感がいいのだろう。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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