優勝!とか、コーチの寿命とか。

テニス

2022山梨北杜オープン・ダブルスでTeam REC所属、竹島駿朗プロが優勝!!

バボラも徐々に合ってきたようだ。


パートナーは野口選手。

ダブルス巧者の二人が組めば・・の結果である。

今季初タイトルかな。

よかったね、おめでとう!

今回は応援に行けずゴメンよ。

さて、テニスコーチって何歳までできるの?って話。

遡ること30年ほど前。
20代中盤のワタクシは完全に行き詰まっていた。

「テニスで生きていきます」と啖呵を切って、
大手スポーツクラチェーンの本部スタッフを辞め、
テニスコーチになってみたは良いが、
金ない、実績ない、戦歴ない、人脈ないとナイナイ尽くしの
テニスコーチとしてのスタートアップ。

千葉の3面の小さなクラブでコーチを始めたが、
ほぼ1面だけ使ってのスクール事業。
それなりにお客様はついてくれたが、限界はあっという間に見えた。

「ここにずっといても先はない」
「おそらく数年内にこのクラブも(相続で)なくなる」
先も見えず、年収180万円(税込)でどうしたものかと毎日考えていた。

近隣のテニスクラブには先輩のコーチたちがいて、
練習をしてもらったり、ご飯を食べさせてもらったりお世話になっていた。
テニスも強く、地元ではそれなりに知られた皆さんだった。

そこで先輩方に将来はどうするつもりなのか聞いてみた。
「将来はどうされるんですか?ずっとコートには立てませんよね」
誰からも期待した答えは返って来なかった。
はっきり言うと、先のことなど考えていないのだ。

ワタクシ、サラリーマンを辞めてコーチになる時にこう考えた。

おそらくコーチとしてコートに立てるのは40歳まで。
あとはコーチとしてのバリューは下がっていくはず。
理屈から考えて、そこから給料が上がることはない。
コート上でのレッスン以外に何らかの価値を持たないと食っていけない。
ならば使われる側ではなく、人を使う側になろう。

簡単な理屈だが、若干24歳でそう思ってテニスコーチになった。
今思えば、「コーチは40歳まで」というのもいささか乱暴だが、
20代の若造は「40歳なんておっさんじゃん」と思ったということだ。

ただ、現実には人を使うどころか、自分の生活もままならない状況が続き、
「オレはこの先どうなる?」と焦りばかりがつのっていった。


当時、あちこちの試合に出ていたので、対戦した方、
雑誌で見たことがあるような有名コーチに片っ端から声をかけてみた。

「10年先は何をされていますか?」
「将来に向けて何か準備していますか?」
「コートに立てなくなったらどうしますか?」

今思えばとても失礼なことを聞いたと思うのだが、
あの時は切羽詰まっていて、自分の生き方のヒントがとにかく欲しかった。

答えはこんなだった。

「そうだね〜。先に向けて何か勉強しないとなとは思うんだけどね」
「毎日が忙しくて時間がね」
「先のことはわからないなぁ」

今思えば、そん中の数名の方は、有名クラブのオーナー家の方や
お金持ちのサラブレットだったりしたので、あまり考える必要もないような方だった。
そういう方は今もテニス界にいて、しっかりポジションを持っておられる。
ベースが違うから聞いても無駄だったかも。

そしてそういう特殊な環境ではないテニスコーチの方々。
ワタクシの質問に「将来のことはわならないな」と答えた先輩方。

今は誰もテニス業界にいない。

勤務していたテニスクラブが閉鎖になり職を失ったり、
オーナーさんとの折り合いが悪くなり、別の仕事に就いたり。

まあ、オーナーさんも売り上げも収支も経費も販促も分からないというか、
そんなことを考えもしないコーチの給料を年齢とともに上げ続けることなんかしないのは道理。
どこまで歳をとっても給料が上がる続けると思っていたコーチの方がおめでたい。

そんなわけで、あの頃お世話になった方々は皆さん、テニス界にはいない。
ワタクシが「コーチって何歳までできるのかな」と思った年齢よりも早めに業界から退場された。
テニスコーチが引き手数多だった幸運な時代を過ごしたことが仇になったとしか言いようがない。

スポーツビジネスが本業ではない地主オーナーさんに雇われたコーチは、
実質的に個人事業主のようなものだから、キリギリスでもアリでも生きていけなかった。
自ら餌場と寝床を探し、切り開いていく狼でないと生き残れない仕事だったのだと思う。


「将来はどうする?」
テニスコーチになる時からこればかりを考えて来た。
先輩方から「そんな難しいこと考えても」と言われても、
名前も何もない自分がどうやってこの業界で生き残るかは最大のテーマだった。

名のある先輩コーチが次々と業界を去っていくのを見ながら、あれやこれやと、もがいた。
そして今ももがいている。

もがかない人、考えない人、動かない人がとりあえずいられるほど、この業界は甘くない。
大手各社でもある時期に一斉に高名なベテランコーチがいなくなることがある。
表向きの理由はあるかもしれないが、重たくなったベテランコーチの整理にしか見えない。
ひどい話とも思うが、一方で去っていく方々は自己の価値を高めるために
何らかの動きをしたのだろうかとも思う。

セミナーなどでお世話になっている神谷コーチはこう言う。
「今やサラリーマンコーチでも会社の看板だけじゃ生きていけません。
自分は何ができるという、価値創造が出来なければ生き残れません」と。
最後に「ね?そうですよね。ためブロさん」と言うのは余計だけど。(笑)

まったく持ってその通りだと思う。
これってテニスコーチに限らず、他業種でも一緒だと思う。
普通のサラリーマンだって自己価値がつくれなければ将来はない。

最初の問いに戻る。
「テニスコーチって何歳までできる?」

正解はないというのが正解。
価値創造が出来れば何歳まででもできるし、
何も考えず、レッスンだけしていればあっという間に消費期限がやってくる。

結局はその人次第でしかない。
自分は何ができるか。
自分の何が必要とされるか。
価値創造は仕事をするうえで必須なこと。

個人でもスクール運営会社に勤めるサラリーマンコーチでも
生き残らなければいけないのは同じ。
自分の旬、自分の仕事寿命は自分でつくっていくのだ。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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