白い恋人とか、仕事ってとか。

仕事

白い恋人ソフト

めちゃウマだな、これ。

東関東自動車道・酒々井SAで食べられます。
オススメ。

さて、気づけばもう2022年。

そして気づけばまあまあいい歳だ。

今の会社に来てもう10年目になるのね。
入社した時の年齢的に「他所から来た感」が強いワタクシ。
自分なりに設定していた、ここにいられるであろうリミットにもうすぐだったりする。

それを置いておいても、担当業務は渡していかないといけない。
この年齢だと普通は役職定年とかで、
徐々に責任と業務はフェイドアウトしていくはずなのだが、
何故だかここ数年、仕事が雪だるま式に増えていってる気が・・・
これって普通じゃないよね、たぶん。

最近、思う。

定型の業務の説明や担当者の紹介は簡単にできる。
それを引き継ぎというのなら、そう難しいことではない。

でも、仕事って結局は人との繋がりと、繋がり方。

何かあったときに、
「それは〜さんに聞けます」
「〜にお願いできると思います」
「〜に動いてもらえると思います」
的なものをどれだけ持っているかってことだと思う。

それって、何かしてもらうだけじゃなくて、
自分がその方々に何をしてきたかってこと。

名刺交換したことがある程度じゃ、誰も力になってくれない。
時間を掛けて信頼関係をつくれたかが、本当の繋がりだと思う。
それが財産だと思う。

何かを供与されたり、飲みに行ったり奢ったりではない。
組織のお金(経費)で何かしたって、それはそれだけでしかない。
それとは別に本業プラスアルファでどれだけ力になれたかだと思う。

そんなことを積み上げて繋がりができる。
名刺交換での紹介は簡単だけど、そこから先は自分で作っていくしかない。

どれだけの方と良い関係で繋がっているか。
名刺や肩書きが外れても続く関係であるかが真価だと思う。

ワタクシ、もう30年以上バイヤーなることをしている。
若い頃は担当者も若くて、もっと業界や会社が良くならないかなとか、
オレたちが偉くなったらもっとこうするのになんて話し合ったりしてた。
結局、たいしてエラくなっていないのが笑える(泣ける?)けど。

接待とか利益供与はなかったけど、
取引先なのに同じ釜の飯を食ったような連帯感があったりした。

何をしたって、それぞれの場所で頑張って成果をあげようってことと、
じゃあ、その中で互いにできることってなに?を模索して一緒に走った。

困った時は相談する。
お互いに何かしてあげられないかと本気で考える。
電卓叩いて、取引先叩いて、自社の条件だけを引き出していたら、
きっとこんな関係にはならなかったと思う。

そんなことを積み上げてたくさんの仲間ができた。
ビジネス的には取引先だけど仲間だ。
変なおべんちゃらもないし、卑屈な上下関係もない。

そんな仲間はそれぞれに道に進んでも変わらない。

(仲間の代表格。他にも仲間はたくさんいます。)

ワタクシが前職の会社を辞めた時、そんな繋がりも終わると思った。
でも、関わってくれた多くの皆さんが変わらず付き合ってくれた。
それこそが財産だと思った。


 だから、これからの人たちにも関係性をつないでいくけど、
自分なりの関係性と仲間をつくっていって欲しい。
 仕事をリタイヤしたり、現職を離れてもそういう仲間がいるのは
まさに人生の財産だから。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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