ゲームとか、SEIKO Super Tennisとか。

テニス

スーパーマリオブラザースだ。
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懐かしいなぁ。

大学生の頃、昼は喫茶店でずっとギャラガをやってた。
夜は近所の潰れそうなゲームセンターでずっと麻雀ゲームしてた。

よく考えたら、テーブルゲームって音出るよね。
ゲームセンターならまだしも、喫茶店で、ピュンピュン!ドカン¡てうるさくなかったのかな。
それにしても学校行っていないな、オレ。(ごめんなさい)

 

さて、日本プロテニス協会が50周年を迎えるにあたり、
記念誌等の編集作業を担当しているわけなのだけど、
さすが長い歴史の中で、様々な資料が出てくる。

会員向けの会報はもちろんだが、プロテニス協会が行なった
外部に向けてのイベントなどの資料も多数。

 

ワタクシの年代でプロテニス協会の事業として外せないのが、SEIKO Super Tennis。

当時のトッププレーヤーが集結するインドアトーナメントは、
そりゃもう豪華というか、カッコいいというか、夢の世界のようだった。

大会はワタクシがプロライセンスを取得する前から始まっていて、
最初の頃は大学生だったのだろうか。

会場の代々木国際プールに行き、財布の中身を何度も見ては、
今月この先が苦しくなっても、SS席を買うか、安い席でガマンするか、
ずいぶんと悩んだことを憶えている。

当時、付き合っていた彼女と一緒に行ったこともあったけど、
財布の中身と料金表を何度も交互に見つめている彼氏なんて、ちょっとカッコ悪いよね。
でも、本当にお金なかったんだよなぁ。

会場に入れば、どんな席でも別世界。
華々しい世界のトップレベルのプレーが繰り広げられていて、
まばたきするのも惜しいくらいにコートに釘付けになっていた。

客席の上の方から見たコートサイドには、プロテニス協会会員のプロの皆さんがずらり。
揃いのブレザーでトーナメントを切り盛りする姿はまさにテニスプロだった。

恐ろしく遠くて華々しい世界だったSEIKO Super Tennis。
最後の方はコートサイドに呼んでもらえたりと、
少しだけ夢の世界に近づいたけど、ほどなく大会も終わってしまった。

 

そんなスーパートーナメントのプログラムが資料の中にあった。
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メッチャお宝!
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ベッカー
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この時はもうラケットは、ボリスベッッカー・スーパーだったのね。

クリックステイン
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打球時にほっぺを膨らませて打つ姿がカッコよかった。
たしか、ラケットはロングサイズにチューンしてあったような。

いやぁ、懐かしい。

ワタクシも初期のプログラムは全て持っていたのだけど、
何度かの引越しのタイミングですべて処分してしまった。

コートレベルで観戦した時、ちょっと先にいたレンドルに
もらったサインが入ってたものもあったのに。
今思えば捨てるんじゃなかった・・・あぁ。

まあ、何しても日本のテニスが輝いていた頃の象徴でもある大会。
懐かしいやら、仕事進めなきゃやらで、複雑な思いで、
事務局通いをする今日この頃なのだ。

原稿仕上げなきゃ。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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