飴とか、引退だってよとか。

テニス

こんな状況でなくとも、冬から春にかけて、のど飴は必須。

昨年末からのお気に入りはこれ。
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たたかうマヌカハニー

舐めた後に口の中のベタベタが少ない気がしてGOOD。

なぜかここ数日、コンビニで見かけなかった。
この状況で供給が追いつかないのだろうか。

ようやく見つけたので2袋ゲット。
飴もそれなりのカロリーだよね、きっと。
気をつけようっと。

そういえば、関西方面では、飴のこと「飴ちゃん」て言うらしい。
一部の方じゃなくて、関西標準だとか。
東北〜関東では聞いたことないな。
日本は広いなぁ。

 

さて、こんな状況で学校にも行けていない17歳児。
もちろん、いつも勉強に行っていた図書館にも行けず、
毎日、家にこもって勉強をしている。

ジュニア公認大会がすべて中止になり、
インターハイも中止になり、所属クラブも辞めた。

そして先日とうとう、「部活、引退しました」とのこと。

部長から、「3年生はこれで引退」とのメールがきたのだそうだ。
メールで引退とは、これまたやり切れない気持ちになった。

当の本人は淡々としていて、
もうモードは受験に向かっているように見えるのが救い。
ワタクシもいつまでも残念がっても仕方がない。
全国の3年生、皆が同じなのだし。

そういいながら・・昔の写真を見てみた。
(Googleフォトって便利だね)

まだ始めたての頃。
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ボールの行方はかなり自由だった。(笑)

最初はコートを借りて、兄弟でテニスをしていた。
コーチはワタクシ。

毎回、最後に兄弟対決をするという。
当然、兄が勝つ。

負けだすと徐々に涙。
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追い詰められて涙。
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負けて号泣。
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「勝つまでやる!コート借りて!」と騒ぐ。
毎週大変だった。

 

10歳。
まさにデビュー戦の時である。
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ワタクシがついていったのだが、メチャクチャ暑い日だった。
たしか1回戦で負け、コンソレで優勝した。

ラケットは一貫してHEAD。
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ジュニア卒業までHEADを使い続けた。

むさしの村もよく行った。
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あっという間に負け、午前中からスーパー銭湯で反省会。
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なんかね・・・こんなことも楽しかったな。
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思い切りプライベートな思い出記事。
申し訳ない。
やっぱり複雑だ・・・。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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