カワサキとか、「おひたし」とか。

テニス

高島平インドアテニススクールで発見。
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カワサキラケットの小物入れ。
まだ使ってるってすごい。

とはいえ、このロゴは後期のもの。
ワタクシ的には新しいカワサキって感じだけど。
カワサキ、フタバヤ、ミスターテニス、昭和のウッド時代、懐かしい。

 

さて、こんなツイートを発見。

社会人の基本は”ほうれんそう”
報告
連絡
相談

ほうれんそうされた側は”おひたし”
怒らない
否定しない
助ける
指示する

けっこうな衝撃を受けた。
「ほうれんそう」はよく知っているが、「おひたし」は初めて聞いた。

「ほうれんそう」と「共有」は、しつこいくらいに言っていること。
「共有がないから漏れが出る」「漏れない仕組みは共有が基本」とか。
とにかく漏れとミスを減らしたいから、「ほうれんそう」は必須である。

じゃあ、受け側は?
その答えが「おひたし」なのね。

「怒らない」「否定しない」「助ける」「指示する」
すべて意識の真ん中に置いてきたつもりだけど、
実際、そう動けているのだろうかと自問自答。

どうなんだろう・・・申し訳ない。(謝罪か)
大事だよね、ホント。

 

「ミスの少ない」は最低限として、意見が出るチームにしたい。
「誰が言ってる」ではなく「何を言っている」で判断できるチームにしたい。
顔色を伺わないで発言できるチームにしたい。
配慮は必要するが、遠慮はしないチームにしたい。

忖度は極力排除したい。
意見を反射的に否定しないで、まずは飲み込んでから反応するようにしたい。
どんな意見でも、勇気を持って発言したことを、まず認めたい。

どうだろう・・・そんな空気はあるのだろうか。

 

「ハナクソみたいな意見しか出ない」
それは、ハナクソ程度の権限しか与えていないから。
権限範囲が明確ではなくとも、そう思わせているから。

「新しい発想が出ない」
それは、新しい発想や意見が出た瞬間の反応がプラス方向じゃないから。
それを皆が敏感に感じ取っているから、もう言わなくなっている。
意見を言うことは損だと思ってしまう。

「物を言うこと」をとても勇気のいることにしてしまっているのかもしれない。
まずは、「言う」という行為そのものを承認しなければ。

逆に「言ってもムダ」「こりゃダメだ」と思わせることができれば、それはそれで、とても楽かも。
余計な意見は出ないし、皆が「気に入ってもらえる正解」を探し始める。
ある意味、「諦めさせる」「ムダと思わせる」のは最強ウェポンだ。
そして衰退、破滅へのショートカットでもある。

 

皆、よく反応を見ているなと思う。

「機嫌悪かった」
「タイミングが悪かった」
(タイミングを計って意見言わなきゃならないのか?)

「一刀両断に否定されてた」
「瞬殺だった」
「よく分からない理由だった」

受け手がそんなんじゃ、誰もモノ言わないわってこと。
”ほうれんそう”も文化も結局のところ、すべては受け手側の問題なのだと思う。

子供は育てた通りに育つ。
チームも振る舞った通りにつくられる。
すべては自分そのものなのね。

反省しなければ。
心に刺さった「おひたし」だった。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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