サプライズとか、思い出のとか。

テニス

レックインドアテニススクール上石神井でのウイルソンさんの試打会にて。

終了後、スタッフ、選手が集まって何やらサプライズ。
th_IMG_4541

スタッフのUさんの誕生日だそうだ。
th_IMG_4545
いいチームだね、アメア(Wilson)さん。

 

さて、帰省最終日の朝。
いつものようにランニング。

あちこち思い出の場所をぐるりと回り、
いちばん濃い思い出の場所、テニスコートへ。
th_IMG_4064
昔はこの6面はアンツーカーコートだった。
このコートに割り振られるとソックスが真っ赤になったっけ。
今はきれいな砂入り人工芝コートだ。

勝ったり負けたり、死ぬかと思うほど練習したり、
先輩から理不尽なランニングを命令されたり、
そりゃもう色んなことがあった場所。

コート横のお寺に行ってみた。
th_IMG_4054

ここの住職がワタクシたちのコーチだった。

職業柄か、恐ろしく禁欲的なプレーを強いる住職。

ドロップショットを打てば「正々堂々と戦え」と怒られるし、
サービスダッシュをすれば「ハイカラなことするな」と怒られた。

「100球打ってくる相手には101球返せ。
1,000球打ってくる相手には1,001球返せ」が信条。

まあ理屈ではそうなのかもしれないと最初は思っていたが、
インターハイで、早稲田実業の藤田さんや、柳川高校(当時は柳川商業)の試合を見て、
「あれ?100球返される前に1球で決めなきゃやられるぞ」と思ったのを覚えている。
一年生の頃に見られてよかったよ。

そういえば、合宿もこのお寺だった。

お寺に寝て、起きて境内を掃除し、朝はお経を唱え、座禅である。
風呂はなかったのかどうか覚えていないが、
墓地の前の水道で頭と身体を洗ったっけ。

そして地獄だったのは裏の山に登るこの石段。
th_IMG_4056
何度も何度も延々とダッシュを繰り返す。
もはや巨人の星である。
そんな思い出の石段も随分と古くなった。

せっかくなので登ってみた。
th_IMG_4062
そうそう頂上にはこんな社があった。
合宿の夜中に抜け出して、女子部員と長々と話をしたり。(時効)

お墓の前にはテニスコートが広がる、
あの頃そのままのような気もする景色。
th_IMG_4058
もう30数年年前なのね。
歳とったぜ。

ちなみにコーチだった住職は今もご健在。
地域テニス協会の会長もやっておられるようだ。
相変わらずフォアハンドもスライスなのかな。

テニスコート横のお店。
th_IMG_4067
練習帰りにたむろしてジュースを飲んだり、カップラーメンを食べたり。
ちょっとだけ悪いこともした気もするがそれはまあ・・ね。
高校生定番の毎日だった。
もうお店はやってないのかな。

懐かしい場所から家へ戻る。
th_IMG_4073

そして新幹線で自宅へ。
th_IMG_4086
今度帰ったらテニスしてみようか。
皆、集まるかな。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP