担々麺とか、勝負!とか。


まだこれからすべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
がんばろう日本!

先日のこと。
朝一番からレックテニススクール府中へ。

府中に行くのは電車で1時間半以上の旅ではあるのだが、
始発から終点までなので、乗り換えが無いうえに座れるから、
寝たり、メールチェックしたりと結構快適。

ミーティングをを終え、皆でお昼。

オススメの担々麺のお店だ。

ワタクシは大辛を注文。

まあ、大丈夫なレベル。
次回はめちゃ辛を頼んでみようと思う。

店を出て、苅田コーチが言った。

 「ここの担々麺、美味いんですけど、毎回お腹壊すんですよね」

 「それはキミの体が弱いんだよ」

次の日、ワタクシもお腹が痛かった・・・
でも次回はめちゃ辛を頼んでみようと思う。

さて、スクールに戻り、事務所の奥に目をやると、
懐かしいウッドラケットが無造作に置いてあった。
「誰の?」と聞くと、「分かりません」とのこと。

苅田コーチに「ウッドラケット使ったことある?」と聞くと、
「ありません。ボクはグラファイトでテニスを始めました」だって。
そういう年代なのか…ギャップを感じるなぁ。

「ちょっと打たない?あ、この2本以外持ってこないでね」

ウッドラケットを使ったことの無い苅田コーチに
アジャストの間を与えず、試合をして勝ってしまおうという目論み。

苅田コーチはレック実業団チームのメンバー。
ここで勝っておいて二度と試合をしなければ、
「オレ、苅ちゃんに負けたこと無いし」とずっと言える。

フタバヤ・ゴールデンショット

ワタクシのテニス人生において2本目のラケットである。

当時、メッチャポピュラーなラケットで、
「まずはゴールデンショットから」みたいな空気があった。
ゴールデンショットを真ん中に、
ハイショットとウイニングショットというメジャー2機種があり、
フタバヤラケットのドル箱トリオだった。

これぞウッドラケットというオードクスなデザイン。

グリップレザーも当時のままである。

この頃の国産ラケットのグリップは使っているうちに
汗と汚れでツルツルになり、正直使い物にならなかった。

ラムキン社製のレザーに巻き替えるか、ガーゼグリップという
ガーゼに糊を染み込ませたようなオーバーグリップを巻くのが一般的だった。
ちなみにワタクシはガーゼグリップ派だった。

カワサキ・オールマン

スーパースター、福井烈プロが使用していたラケット。

もちろん福井プロの使用機は特注品。
スロート部分とグリップ部に「烈」とネームが入っていた気がする。
後で福井さんに聞いたら「あれは自分で根性って書いてたんだよ」
と仰っていたが、実際のところはよく分からない。

このシャフトがオールマン独特のしなりを生み出している。(たぶん)

懐かしいなぁ。

さっそくラリー開始。

「重いっす!飛ばないっす!」と苅田コーチ。
よしよし計画通りだ。

「この時代って、サーブ&ボレーヤーとかいたんですかぁ!飛ばねぇー!」

「いたよ。神和住さん」

「・・・・?」

ピンと来ていないようである。(苦笑)

なれないうちに試合開始。
時間が無いのでタイプレーク3セットマッチである。

結果は、68、68。
負けてしまった。

うーん、いい線いってたんだけどなぁ。
計画失敗だ。
残念。

まあでも懐かい感触が味わえたからいいか。
フラットで打ち抜くとなんともいい感じだね、やっぱり。
たまに使ってみるのもいいかもしれない。

苅田コーチ、無理矢理付き合わせてゴメンよ。

次は負けねえぜ。
今度はジュニアラケットで勝負かな。(普通にやれよ!)

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