スキーなど

女子モーグルの中継。
出かけなければいけなかったのだが、
上村愛子を観ずしてどうするってことで、最後まで観た。
頑張ったよね、感動した。

で、次の日の男子モーグル。
女子でもスゴイと思ったが、男子はそれ以上の半端無いスピード。
スゴイのひと言だった。

もう、頭がぶっ飛んだクレイジーな人たちっていうか、
足もすくむような斜面に飛び込んでいくヒロイックな感じが最高だ。
いやぁ、いいもん見せてもらった。

スキーといえば、ワタクシ、物心ついたころには板を履いていた。
別に北国育ちだからってわけじゃない。

東北地方はスキーで通学するとか、
授業で「スキー」という科目があるとか、
それはウソで、スキーはあくまでレジャーである。

ワタクシの場合、父親が指導員の資格を持っていて、
冬になると毎週末、強制的に山に連れて行かれ、
スパルタでスキーを叩き込まれただけだ。

初めてスキーを履いたのは、3~4歳の頃らしい。
当然、まったく記憶が無いのだが、親が言うには、
「これ滑るよ!」と怒っていたらしい。

そんなわけで、滑れなかった頃の記憶はない。
気づけば、ある程度の滑りは出来ていた。

しかし、滑れることと、楽しいのは別のお話。
毎週のようにスキーに連れて行かれるのは苦痛でしかなかった。

スキーにも色々あって、父親の持つ指導員資格は、
いわゆるデモンストレーター的なもの。
つまり、基礎スキーってヤツだ。

いかに基本的なフォームでキレイに滑るかがデモスキー。
膝の角度とか、脇の開きとか、体重移動とか、
滑ってくる角度とか、そりゃもう細かいのなんのって。

  「もっと腕を開いて!」

  「内足に体重を移動して!」

  「視線はあと5m先!」

とか、やかましいったらありゃしない。
スキーって言うより、「スキー道」って感じ。
そんな抑圧されたスキーが楽しいわけがない。

しかも、リフトはほとんど使わない。
1本滑っては斜面を登り、滑ってはまた登るの繰り返し。
それが朝早くから夕方まで続くのだ。

昼食もロッジで食べたりはしない。
板を履いたままゲレンデに座って、オニギリを食べる。
どんなに吹雪いていようが、ロッジのレストランには入らない。

今思えば、あれだけスキーをさせるには
お金が無かったのかもしれない。
子供たちはあっという間に育ってしまうから、
スキー道具は1年で買い換えなければいけないし、
リフト代、昼食代、ガソリン代、駐車場代、けっこうな負担だろう。
まあ、親なりに一所懸命だったのかもしれない。

父親がワタクシたち兄弟を何にしたかったのかは分からない。
まさかスキー選手にしようと思ったわけではないと思う。
だったら、基礎スキーを叩き込むだけで終わらないだろうし。

おかげで、スキーの基礎はしっかり身についた。
そういう意味では今でこそ感謝の気持ちはあるが、
当時はとにかく嫌で嫌でたまらなかったし、
実家を離れた途端に、まったくスキーには行かなくなった。

ワタクシの学生の頃は空前のスキーブーム。
映画「私をスキーに連れてって」や、ユーミンの苗場ライブなど、
スキーが若者のマストアイテムだった。

それでもワタクシはかたくなにスキーはしなかった。
やればそれなりに上手いだろうから、
スキー場だったら女の子にモテたかもしれない。
でも、スキーはやらなかった。
(今思えば、もったいない)

記憶にある限り、スキーに行ったのは3回だけだ。
行けばそれなりに楽しいが、やはり自分から行こうとは思わない。

当時は2mもある板を履いていたが、今は板も短く広くなり、
道具の進歩でやさしいスポーツになったらしい。
今、どれほど滑れるかは分からないが、
たぶん行くことはないから、どうでも良い。

ただ、雪の上を滑る感覚を知っていることは、
まったくスキーをしたことのない人よりは、
多少はオリンピック中継を面白く観られるのかなと思う。

やっぱり、子供の頃の取り組み方って大事なんだなとか、
いろんな思いを持ちながら、オリンピックを観ている。

ウチの子たちにとって、テニスってどうなのだろう?
雨でも「テニスしたい」と騒ぐくらいだから、きっと好きなんだろう。
好きな気持ちを強要することは出来ないが、
好きなこと、やりたいことをサポートをしてあげることは出来る。
本人たちが「もうテニスやりたくない」と言ったら、やめるだけ。

でも、テニスの素晴らしさは分かって欲しいなと思う。
スキーの素晴らしさを理解し切れなかったワタクシだから。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP