ジャッジの話 最終章

友人から電話。

 「ジャッジの話、長いよ。飽きた」

安心されたし。
もう終わりだ。

さてワタクシ、今までジャッジで揉めたことはない。

いや、ウソです、ゴメンなさい。
遠い昔にはある。
高校時代、明らかなミスジャッジに敗者審判に食って掛かって、
コーチ(和尚さん)にメチャクチャ怒られた。
ワタクシは畜生道に落ちるらしい。

記憶している限り、それ以来、大揉めしたことはない。

しかし、ジャッジに疑問や不満を持つことはある。

例えば・・・

ダブルス。
ワタクシがデュースコートからサービス。
ファーストサービスをスライスでサイドライン際を狙った。
ここ一発で狙うことの多い、得意なコースだ。

ボールはキレイにラインに乗った。
レシーバーは動けず、ノータッチエース。

レシーバーが次のポジションに動き出した瞬間、
アドコートのパートナーの人差し指がチョンと上がり、
その後、手のひらでサイドにフォルトのポース。

自分としては完全にラインに乗っていたと思うし、
レシーバーも見送ってエースを認めた。
至近の縦位置から見ているワタクシのパートナーも
エースを確信し、次のポジションに動き出している。

しかし、レシーバーではなく、その横位置から見ていた
相手の判定はフォルト。
レシーバーも「え?」という顔だし、こちらも「え?」だ。
しかし、レシーバーは、「いや、入っていたよ」とは言わない。
結局、フォルトとしてセカンドサービスだ。

こんな場合、「おいおい、ウソだろ~!」とは言わない。
正直、腹も立つがそのまま従う。(当たり前だが)
ただ、自分の中では確信があるから、
次も同じところに同じサービスを打つ。
で、同じようにエースを取る。
(取れないこともあるけど)

よく、「アイツのジャッジは怪しい」みたいな話を聞く。
確かに、際どいショットはことごとくアウト判定という
傾向のプレーヤーはいる。
たまたまそのポイントがそうだったということではなく、
その人のジャッジがいつもそうって人、本当にいる。

おそらく故意では無いのだろう。
その人にはそう見えるのだ。
(と思いたい)

だから、そこで揉めても、そのポイントは変わらないし、
それ以降のジャッジも変わらないだろう。
文句を言っても意味が無いのだ。

文句をつけると、自分の心が乱れる。
イライラを引きずると自分が損をする。
だったら、気持ちを切り替えてプレーするとか、
文句のつけようの無いコースへ打つとか、
次への具体的な対処をするのみだ。

自分のショットではない、ジャッジという部分での
疑念を消化するのは実のところ非常に難しい。
しかし、それも含めて勝負だから、
正義が勝つように頑張るしかない。

これが分かるまでにたくさんの時間を要した。
しかし、それが真理だと思う。

野球ジャッジも難しいが、テニスのセルフジャッジも難しい。
しかし、セルフジャッジというある意味特殊なルールの中で
どうベストを尽くすかしかない。
心を揺らさないことなのだ。
難しいけど。

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