横浜のカレー名店、RIOが新宿駅にもできていた。
正確にはRIOじゃなくて、RIO監修らしい。
何にしても近場でRIOが食べられるのはうれしい。

これはモーニングカレーね。
うまい!
さて、テニスコーチで食っていこうと思った若い頃。
とりあえず某スポーツクラブチェーンの本部社員を辞めた。
学生時代にお世話になったコーチを頼って、
3面の小さなテニスクラブでコーチ生活が始まった。
会社を辞めた時に考えた。
テニスコーチって何歳まで出来るかな。
40歳くらいだろうなぁ。その後どうしよう。
いやいや、辞める前に考えろよって話だけど。
で、もう少しだけ考えた。
ずっとコートに立つんじゃなくて、経営とか運営側、
つまり人を使う側になればいいんだ。
あの頃、テニスコーチの将来のロールモデルは少なかった。
まず、名前のある選手だったコーチ。
この方々は雲の上の方なのでなりようもない。
あとは、コーチとして会社を興した方々。
ここかな、目指すのはと思った。
とはいえ、その方々も有名なコーチの皆さん。
選手としてもコーチとしてもかなりの実績をお持ちの方々だった。
何もなかったワタクシが一足飛びになれるわけもない。
まずは実績積まなきゃってことで、あれこれもがく、ほぼフリーコーチの2年半。
その後、中規模のスクール運営会社に入れてもらった。
つまり社員コーチである。
ここでもロールモデルはなかった。
社員の先輩方は素晴らしいコーチであり、しっかりスクール(レッスン)を回していた。
でも、ちょっと違うんだよなぁと思った。
いいレッスンする、いいコーチであることはマストなんだけど、
いいコーチで終わってしまう気がした。
あの時思った40歳以降の姿はこの延長にはなかった。
レッスン以外の仕事もしたい。
他に会社に貢献出来ることはないだろうか。
それをしないと他のコーチと変わらない。
そこからあれこれと会社に提案をし続けた。
未来のテニススクール像、運営方針、社員マニュアル、スタッフマニュアル、
サービス(接遇)方針、サービスマニュアル、商品販売、ブランド構築。
どれも何も頼まれていないこと。
聞いてもらえなければ、余計な事ばかりである。
ただ、頼まれていないということは、これまでなかったものってこと。
つまり新しい必要なことを生み出すことになる。
仕事ってそういう事だよねと自分に言い聞かせて提案を続けた。
有名選手でもない、有名コーチでもない、どこにでもいる社員コーチ。
今後そういうコーチが増えていくはず。
そういう層が今後どうなっていくのか。
毎日、朝から晩までレッスンをして、家に帰って
「ああ、今日もよく働いた」とビールを飲んでいては先はない。
ロールモデルになるかどうかは分からないが、違うことをやってみるしかない。
レッスンは他の社員と同じく頑張るが、
それ以外の時間は何かを生み出すために使ってみようと思った。
休日は他のスクールを見学したり、ホテルや良いと評判の飲食店などの他業種を見に行った。
見よう見まねでサービスマニュアルをつくってみた。
そもそもマニュアルの作り方なんて知らないから、
知り合いの営業マンからマニュアルを見せてもらったり、
某航空会社のマニュアル、某夢の国のマニュアル、某有名アパレルのマニュアルなんかを入手し、
会社の方向性を詰め込むってのはこういうことなのかと感心しつつ、参考にした。
きっと思いだけが先行した幼稚な提案だらけだったと思う。
しかし、聞き入れてもらったことも多く、徐々に運営を任せてもらえることになる。
先輩社員からすれば、一番年下が生意気なことを言っている状態だったはず。
黙ってレッスンやってろよって。
ただ、仕事と成果を生み出すことでしか存在意義ないと思った。
だって、ロールモデルがないのだから。
幼稚な提案を聞いてもらえたのもラッキーだったし、
会社もテニススクールビジネスも過渡期だったというのも幸運だった。
この時の経験は本当に貴重なものだったし、自分の基本になった。
つまりそこにあるものを忠実になぞるのが仕事じゃないってこと。
一歩抜きん出るには、今いる場所で必要とされるには、
生み出すことと成果しかないってこと。
当時、コーチ仲間からは「レッスンしてないの?毎日何してるの?」と言われた。
今もコーチたちはそんな感覚なのだろうか。
ワタクシの事例が、今となっては世の中にたくさんいるテニスコーチの
ロールモデルのひとつになったかはわからない。(なってないよね)
でも、戦歴ない、人脈ない、実績ないの3無いコーチがこの歳まで
テニスに携わっていくひとつの方法かもとは思う。
ちなみに、23歳の時に思った「テニスコーチは40歳まで」は大きな勘違いだった。
何歳になっても素晴らしいコーチはたくさんいる。
そんなテニスコーチってすごくいい仕事だと思う。
ただ、ワタクシのスタートの方向性は「一生コートで頑張る」ではなかっただけなんだろう。
さあて、残り少ないこの先はどうなりますかね。
というか、「どうなる」じゃなくて「どうする」かだな。
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