引退という区切り|錦織圭と23歳児、それぞれのテニス人生

テニス

蔦屋書店

スポーツコーナーを覗いてみた。
フィットネス系、ランニング系は人気コンテンツでたくさんの雑誌がある。
あとは野球とかゴルフとか、釣り雑誌も多いかな。
で、テニス・・・ひとつもなかった。
由々しき事態である。
大丈夫か、テニス界。

さて、日本テニス界の宝、錦織圭が引退宣言をした。

身の回りで、もうひとつの宣言があった。

先日、23歳児がめずらしくワタクシの起きている時間に帰ってきた。
PCに向かって仕事をしていたワタクシに声をかけてきた。

「おとうさん・・」

「なに?」

「あの・・5月でテニスを引退します」

「どういうこと?体育会をってこと?」

「はい。もう時間が・・・」

「忙しそうだもんね」

「はい。もともと薬学部は4年で引退する人が多いのです。
 テニスをしたいから6年生までと思ってそのままやってきたけど、
 研究室とインターンと就職活動も入ってきて、最近はまともに寝てないんです」

「今朝も5時に練習に出て行ったもんね」

「ひとまず部活は無理かなと思って」

「そうなんだ。でももうテニスしないわけじゃないし、時間があれば出来るんでしょ」

「はい。ひと区切りということで、ここまでのサポートありがとうございました」

ということで、律儀に引退報告とお礼を言ってきたあたりが彼らしい。

高校生の時もそうだった。
年明けの公認大会を最後にすべての大会がコロナで中止。

(白子にて。結果的にこれがジュニア最後の試合になった)

コロナは収束の気配を見せず、インターハイ県予選も中止に。
これで高校テニスは強制終了。
中止が決まった夜、「テニス引退になりました」と報告があったことを思い出した。

もともと進学校でもあり、決めたらやり抜くタイプの23歳児は、
その日以降、一切ラケットに触れることをせず、受験モードにスイッチ。
ついでに「大学に行ってももうテニスはしない」と言い切った。

結局、大学でも思い切りテニスをしてきたわけだけど。(笑)


そしてこれが2回目の引退宣言だった。

ちょっと寂しい気もするが、時間ができたらまたテニスをするだろう。
大学のコートは自由に使えるし、試合には出ないけど、後輩の相手をすることもあると思う。

そんな話があって、23歳児がテニスを始めた頃を思い出したりした。

テニスをはじめたばかりのころ。
まともに打てているように見えるが・・・

こういうほうが多かった。

兄弟で一緒にはじめたので、毎回兄と試合をした。
最初はやる気満々。
徐々に旗色が悪くなると。

下を向くことが多くなる。

気を取り直して頑張るもうまくいかない。

そもそも兄に勝てるわけがないのだ。

さらにゲームを取られると・・

負け寸前。

1ポイントごとに座り込む。

相手にボールを投げつける。

いちおうサーバーにボールを渡しているつもりらしい。

ゲームセット。

いちおう握手もするが・・・

泣く。そして、「もう1回やる!勝つまでやる!」という。

究極の負けず嫌いである。(笑)



試合のたびに泣いていた彼も、いつしか兄には負けなくなっていた。
そしてワタクシにも。

一緒にテニスをすると余裕をかましているのがくやしいけど。

そんなこんなで長らくテニスをしてきた23歳児。
ワタクシの退職でテニスをする場所がなくなるという危機もあったけど、
たくさんの方にお世話になって、可愛がってもらって、感謝感謝である。

ここからは研究と就職活動の毎日になるのだろうか。
たまには一緒にテニスをしよう。
あ、いや、してください。

テニスは一生続けろよ〜。

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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