絶景とか、Wilsonの歴史とか。

テニス

川奈ホテルの展望台から。

絶景である。

この景色の両サイドに2つのゴルフコースがある。
左を富士コース、右を大島コースというのだそうだ。
富士コースはフジサンケイクラシックで有名なコース。(なんだって)
たぶんプレーする機会は一生ない。


さて、もうずいぶんと前の気がする川奈での試打会。

名門川奈ホテルのロビーはWilsonの歴史一色。

しばしの待ち時間、20歳児がなんやら見ていた。


テーブルにWilsonの歴代カタログが。

これは懐かしい。

見た所、ラケット新時代を拓いたプロファイル以降のもの。
もしかすると、前代理店のSONY Wilsonの後からってことなのかな。

パラパラと見てみる。

PROFILEが出たのは80年代後半なのか。

見たこともないような分厚いフレームのラケットが出た時は驚いた。
そしてフレーム剛性による硬質な飛びの良さにもびっくりしたが、
さすがに自分が使うのはって感じだった。

ただ主婦層の間では大ヒット。
以降のラケットの流れを作ったのは間違いない。





そしてWilsonといえばのこちら。

PRO STAFFね。

これはLIMTEDだからか、価格も34,000円で収まっている。

発売当初のセントビンセント製は60,000円だったよね。
当然買えなかった。(先輩コーチに譲ってもらったけど)

そういえば、LAFINOのクニヒコもジュニア時代はPRO STAFFを使ってたな。
練習しすぎで何本もヒビ入れてたっけ。


PRO STAFFの変遷。

そうそう、TOUR、CLASSICもあった。
これは同僚のコーチが使ってた。
一緒に試合に行ったり、飲んでケンカしたりしてたなぁ。


後半はシュテフィ・グラフモデルも。

これはメッチャ売れた。
一時期コーチしていたジュニア選手も使ってたっけ。


ああ、懐かしい。
あの頃に戻りたい・・・とは1ミリも思わないけど、
こんな時代を見て来れたのは貴重な財産だ。

そんなラケットの変遷と時代背景をWilsonのイワキさんと一緒に
20歳児に熱く語ってみたが、ほぼ無反応だったのはいうまでもない。(笑)

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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