神戸カレー。
三ノ宮の某所で。
関西方面はおいしい&量が多い。
ごちそうさまでした。
さて、ある経営者の話。
社長である彼は徹底して社員の皆さんに敬語を使う。
「堅苦しくないですか?距離感があるのでは?」と聞いた。
「僕はみんなより偉いわけではないのです。
みんなにもそれぞれの人生があり、家族や居場所があり、
その中の一つにウチの会社があるだけです。
縁があって会社と契約をしてもらって、一緒に働いてくれる。
毎日、ちゃんと来てもらえるだけで感謝ですし、
人として認めているから、敬語で通させてもらっています」
彼も「社員は家族ではありません」と言った。
家族的な感覚はないので、乱暴な口調はないし、
「誰が家長か」的なマウントも取らない。
一方で、仕事については妥協なく細かな指示を出す。
メールの返信ひとつ、その言葉遣いにもこだわり指示を出す。
「言葉ひとつでお客様が不快になったら申し訳ないし、
それがクレームや攻撃になって返ってきたら、
その社員がかわいそうなので、細かいなと思われてもそこまで見ます」
と言う。
家族じゃないからドライな対応かというとそんなことはない。
定期的に個人面談を行い、意見や考えていることを聞く。
もちろん期待していること、望むことも伝えているそうだ。
面談の数回に1回は契約している社労士さんに面談をしてもらうとのこと。
丁寧に話をしても、やはり社長には直接言いづらいこともあるはず。
そういうことを言ってもらうために社労士さんに面談を行ってもらうそうだ。
社員が落ち着いてお昼を食べられるように、向かいのビルに1部屋を借りた。
ワタクシとの打ち合わせでも使わせてもらっている部屋だが、
打ち合わせで入るのは、社員さんの休憩時間が終わってからだ。
「家族だから親身」という考え方もあるが、
「家族だと思うから乱暴や無理(も許される)」という側面もある。
ただ現実には家族ではないし、「家族的」なところに許容を求めてしまうと
関係性の安定は難しいように思う。
「家族ではない」が大事にしないわけではない。
「家族」を免罪符にしない。
社員や仕事仲間を大事にするというのは、スローガンや雰囲気で示すものではない。
大事に思っている人にどう振る舞い、実際に何をしているかだ。
社是やスローガンで「家族」や「絆」を謳っても、
信用していないなとか、家族にそんなことしないよねってのが
透けて見えたら逆効果だ。
彼は縁があって一緒に働いてくれている人たちを認めているように見える。
大事に思うというのはこういうことなのだなということが行動から見える。
圧をかけるのではなくお金をかける。
お題目を掲げるのではなく、手間をかける。
無駄に威張らず、支配せず、感情をコントロールして組織を動かしている。
社員は家族にしなくとも守れる。
もっともらしい言葉で飾らなくても本質は言動で伝わるってことだと思ったお話。
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