ラリー・カールトンとか、家族?とか。

仕事

K女史がラリー・カールトンのライブに行ったそうな。

来日してたのか。
六本木のライブハウスだっけ。
公演前ギターの写真が。
代名詞のGibson ES-335だ。
ああ、行きたかったなぁ。


さて、社員は家族。

って思ったことは一度もない。

使ってやってるとか、面倒みてやっていると思ったこともない。
もちろん逆もない。
カッコつけてるわけじゃなくて、皆、仕事のパートナーだ。

もちろんそれぞれに思い入れもあるし、
縁があって一緒に仕事をしている仲間であることは間違いない。
ただ、やっぱり家族だとは思えない。

「社員は大事な家族です」って言う会社もあるけど、
ホントにそう思ってるのだろうか。
この言葉を聞くと胡散臭さを嗅ぎ取ってしまうのはワタクシだけ?
どこのスイッチを入れると(本気で)そう思えるのか、
ワタクシにはわからない。

社員というか、仕事の仲間は皆、独立した個人だ。
そして会社と様々な形で契約している関係で成り立っている。

評価制度があり、査定があり、「あなたはいくらです」と提示があり、
それを受け入れて、雇用なりの契約をする。
双方の意向が折り合わなければ契約はない。
つまり、その人はその会社を選ばず、別の場所に行くということ。
それで良い。

合意のもとに契約をしているのだから、あとは契約内容に沿って、
そのべースになっている期待されているパフォーマンスを発揮するだけ。

家族として「面倒をみてもらっている」わけではないので、
卑屈になる必要はないし、胸を張って頑張れば良い。
合意したなら堂々と頑張って成果をあげれば良いのだ。


社員は「家族」と公言することを否定はしない。
本当にそう思っているのならそれで良いと思うが、
「家族だったら、サービス残業だってするでしょ」とか、
「家族なんだから、多少のガマンはするでしょ」とか、
「家族として面倒みてるんだから、すべて従うでしょ」とか、
「あいつは共働きだから給料こんなもんでいいかな」なんて、
それが悪い使われかたに繋がらなければってこと。

家族ってニュアンスに「面倒をみる」「世話になる」という、
ウェットでどうにでも解釈できて、便利に曲解できる要素が根本にあると、
とても難しい関係性になる気がしてならない。

ワタクシはケアやフォローはするが「オレが面倒見ちゃるけん」というのはない。
もちろん育って欲しいし、それが本人のため、
会社のためだから出来る限りのことはするけど、
本人にその気がなければ首根っこ押さえて勉強させることはしない。

だから、仲間を呼び捨てにすることもない。
言葉遣いにも気をつけている。
酒席でマウントを取ることもない。
そもそもここ最近はほとんど飲みに行ってないけど。

互いを認め合って仕事に組むべき。
家族じゃないから、礼儀は求めるが、根本の人間性までは踏み込まない。
(一歩間違えたらパワハラだし)

それぞれが独立した個人としてパフォーマンスを発揮してほしい。
そして不確実な要素を排除して評価したい。
大事なパートナーであり、チームだからだ。
組織や誰かにぶら下がらず、胸を張って成果を出そう。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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