公園とか、次の上司とか。

仕事

近所の公園

海から内陸方面に大きくグリーン地帯が広がっている。

海側のエリアは日本庭園。

そういえば最近、近所を満喫してない。
春になったらのんびり散策してみよう。
って、年寄りっぽいか。

さて、以前に書いた出会った上司のこと。

最初の上司はなかなかの破壊力のある方で、
良くも悪くも昭和の猛烈サラリーマン的な方
だった。

大学を4年で奇跡的に卒業して、奇跡的に新卒で入社した
現在は一部上場企業のスポーツクラブチェーンの本部。

普通に考えれば、「あの子が、まっとうな社会人になれた?」だったのに
「やっぱりテニスをしよう」と退職してしまったのだから、まあ親不孝なヤツだ。

で、どういう形でテニスをするか。
実は大学時代もそこまでちゃんとテニスをしていない。
体育会ではなく、サークルだし、地元出身ではないので、
テニスの知り合いいないし戦歴もない。

テニスコーチのアルバイトを3年間やっていたので、
そこのヘッドコーチというか、いくつかのクラブでスクールを
運営している会社の社長さんに連絡をしてみた。

会社を辞めてテニスの仕事をしたいことを伝えると、
「船橋市で3面のクラブでスクールを請け負うからやってみるか?」
と言われ、他に選択肢もないワタクシ即決で受けることを決めた。


その時のことは別の機会に譲るとして、その方(Sさん)の話。

Sさんはユニークな経歴の方で、鹿児島の名家の出身。
実家は薩摩藩の弓の指南役だったとか。

大学に入り、東京に出てきて、そこからの詳しいことは知らないが、
ある時、テニスというものをしてみたらあっという間にラリーが出来たそう。

そのまますごい勢いで上達し、初めてラケットを握ってから
数ヶ月でテニスコーチになってしまったという不思議な方。

ただすごい勢いで勉強もしたようで、様々なセミナーや書籍、
スクール見学をしたりと、多くの情報を持っておられた。

職業コーチになりたてのワタクシは、
Sさんにコーチとしての手ほどきを受けることになる。

段階的指導法から、様々なコーチの手法を取り入れた指導法、矯正法。
ビックブレーデン、ピーターバーウォッシュ、プロテニス協会など、
Sさんの持っている多くの知識を教えていただいた。

そして、コーチとしての考え方や、プレー。
だれでもミスはするが、こんなミスはしてはいけない。
この場面でこの負け方はダメなど、初期段階で細かく教わった。
コーチとしての基礎の基礎はSさんに刷り込まれた。

Sさんは、何でも一旦疑ってかかる人だった。
「普通こうでしょ」ということも、「普通ってなに?」と言う人だった。

「そう思い込んでいないか」
「それって本質なの?」
「これまでそうだっただけじゃない?

何かにつけ、自分の頭でゼロから考えさせられた。
その上で、企画や提案をすることを求められた。

5W1Hも徹底して求められた。
相手に伝わる書面の書き方、提案を通すための要素など、
基本的なことを細かく教えてもらったことを覚えている。

テニスコーチだけではなく、小さいながらも仕事の基礎もここでつくられたのだと思う。

今思えば、手取り足取りだったのだけど、当時は「細かいなぁ」と思っていた。

テニスの練習もしてもらったが、
「この場面でなぜそのパワーで打つ必要があるのか?」
「今、リスクを取ってこのショットを打った理由は?」
など、いちいち考えさせられた。

当時は若かったし、
「そんな小難しく考えなくても練習すればうまくなるでしょ」
と思っていた。

ただ、数年後に気づいた。
練習した分だけうまくなるのは当たり前。
週1回しかテニスを出来ない人にもそれ以上に上手くさせるのがコーチの仕事ってこと。
ああ、それをワタクシに実践してくれていたのだなと。

ジュニア時代に死ぬほど練習をしてテニスが上手くなったわけでない方なので、
練習量ありきの方向性ではなく、テニスへのアプローチも独特だったのかもしれない。

テニスコーチらしくないコーチ。
でも、テニスコーチの本質でもあったと思う。

Sさんは神奈川に住んでいて、鎌倉付近のクラブをメインにして、
千葉のスクールはワタクシが担当していたから、
頻繁に会うわけではなかったけど、色々と教えてもらった。

船橋のクラブはオーナーさんの本業ではなかったから、
相続が絡めばおそらく閉鎖してしまうことが見えていたし、
もっと規模の大きな仕事をしたかったので、2年半で辞めさせてもらった。

筋肉系の考え方をしないコーチ。
人によっては、小難しい人、理屈っぽいコーチと思うかもしれないけど、
世間のテニスコーチとはちょっと違った方にお会いできたのも財産だったと思う。

人生で一番貧乏だった時期だから、待遇は良くなかったのだけど(笑)、
大きな影響を受けたSさんだった。

今もお元気なのだろうか。
恩返し出来てないなぁ。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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