カメラ用に折畳み椅子を購入。
以前は脚立だったのだが、大きいし、
人混みで高さを稼ぎたいとき以外はかさばるってことで
よく見るこのタイプにしてみた。
なるほど、軽いしコンパクトだし便利。
Team RECステッカーも貼ってみた。
遠征には持っていかないと思うけど、重宝してます。
さて、ちょっと考えてみた。
実はワタクシ、ひとつのチームを担当している。
チームメンバーは各所、各業務に渡っていて、同一のものではないが、
組織的にはひとつのチームとして括られている。
ワタクシはそのチームにおいて責任をとる人だったりする。
つまり責任者ってことだ。
とはいえ、意識はサポーターまたはメンターという感じ。
上司として君臨する、人を支配するという感覚はあまりない。
皆、大人なので個々の役割と責任は分かっているし、
それぞれのミッションを完遂するためにすべきことをする。
つまりそれぞれが機能すればチームとしても結果が出る。
ワタクシの役割はそのための環境整備をすること、
ズレが見えたら早期に修正すること、
困った時は助言する、助けること。
そして最後に何らかの問題があれば責任を取ることだ。
平たく言うと、問題が起きたり、迷ったり、困った時に何かしてくれる人である。
基本的にはうまくいっている時には存在感がない人ってことだから、
成果をあげた時はそれぞれが自分の成果として受け入れられる。
プロセスを存在感無しにサポート出来れば良いと思う。
だから、自ら動く人だとサポートしやすい。
すでに動いていること(人)は多少方向性がずれても
ハンドルを少し触ってあげれば良い方向に動き続ける。
そのスピードが速い人は多少ハンドリングに苦労はするが、
それでも上手く方向を見つければ、より早くゴールにたどり着ける。
一方で、「動かないこと(人)」はどうしようもない。
メッチャ遅くとも動いている、動こうと努力しているならば
加速をつけてあげる、ハンドルを支えてあげることで前に進めるが、
動きがない、後ろ向きのことをしている場合はどうにもしようがない。
0,1ミリでも動いていれば、何かの拍子に一気に加速する可能性もあるが、
動かないことは「0」であり、何を掛けてもゼロ。
後ろ向きの「マイナス」をプラスに転じるのも難しい。
結局のところ、動くかどうか、前に進むかどうかは本人の中にしか要素はない。
「やる気」だけは代わってあげられないのだ。
本当にやる気がない、動かないのであれば、仕事の振りようがない。
職場は学校ではない。
「○○君は〜どうしてやらないのかな?」と諭してくれたりはしない。
結局は仕事の幅が狭まっていくことになってしまう。
「やればデキる子」ではなく、どんな形でも「やる子」であるべき。
給料もらってるんだから。
そうでなければ報酬を得てはいけない。
だから一歩でも前に進むこと、その努力をすること。
そこから先が見えるのだと思う。
「ゼロ」は「永遠にゼロ」なのね。
映画のタイトルみたいだけど。。
思い通りにやりたいことだけってのはなかなか無い。
とにかく動いてみることだなと思う、2017年の年明け。
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