毎朝、トレーニングジムへ行っている。
かれこれもう3年くらいになるのだろうか。
最初は特に目的もなかった。
運動不足の解消程度の意識だ。
さしたる目的もないことは長続きしないもの。
トレーニングなんてものは、それ自体にゲーム性も楽しさもないし、
テニススクールのように時間も曜日も決まっていないから、
挫折するの人が多いのは当然の論理だ。
ところがワタクシ、この数年間、毎朝トレーニングを続けている。
別に強靭な意志の持ち主ではない。
どちらかといえば、その対極の位置する人間である。
おそらく、オフィスと同じビルにあるのが、
続いているいちばんの理由だろう。
通いやすいというのは、非常に大きなファクターだ。
そして、もうひとつは、「行けるときに行く」にしないこと。
ジムに行くのは朝のみと決めている。
早めに出社して、始業前に済ますのだ。
夜は行かない。
夜はすでに仕事で疲れているから、「今日はいいか」になる可能性が高いし、
何時にオフィスにに戻れるか分からないからだ。
よりそれを明確にするために、会員種別は平日昼間のみのデイ会員だ。
もちろん、会費が安いというのも理由のひとつではあるが。
とにかく、自分にルーティンワークとして義務付けることで、
滑り出しの初速をつけ、習慣化する。
あとはそれに乗っかるだけ。
人一倍意志が弱いワタクシはそうでもしないと
絶対に続かないと思ったわけなのだ。
ジムでのメニューは2日ごとに部位を変えてのローテーション。
そして、カーディオマシンで30分間のランだ。
とにかく、決まった(決めた)動作を毎朝延々と続ける。
そんなこんなでトレーニングを続けたら、
腰痛や肘痛なども減り、一応の筋肉もついてきた。
それにともなって、ラケットも重めのモデルが使えるようになり、
飛び系モデルに日和りかけていたのが、ツアー系に戻った。
ところが最近、習慣化の罠に陥っていることに気づいた。
トレーニング自体は、時間・メニューともに変わらないが、
微妙なところで、流している自分に気づいた。
以前にくらべて、ウエイトを上げる速度が速くなったり、
関節の曲げ方が足りなかったり、負荷の掛かる部位への
意識が無く漫然と動かしていることに気づいた。
知らぬ間に、「毎朝トレーニングをする」ことが目的になっていた。
それは手段であり、目的ではあってはいけないはずなのに。
「欠かさず通う」ことに満足してしまってはいけない。
ということで、数日前から出社時刻を少し早め、
丁寧にしっかりトレーニングするようにした。
すると、同じメニューのはずなのに筋肉痛になった。
最近、どれだけ適当に流していたかということ。
そして、いかに中身が重要かということだ。
これって、仕事にも遊びにも共通だなぁと、猛省した次第である。
さて、このジムには、妻の親友のご主人も通っているらしい。
向こうはワタクシの顔を知っているようだが、
ワタクシは彼の顔を知らない。
ボディビル大会で入賞するようなマッチョマンらしいが、
このジムはマッチョマンだらけなので分からない。
以前にもこの話を聞き、「声を掛ければいいのに」と言うと、
「何人たりとも、オレに話しかけんじゃねぇぞ」オーラが出まくりで、
話しかけづらいってことだった。
(そこまでのつもりは無いのだが)
で、最近その友人に会った妻によると、
ワタクシの「ほっといてくれ」オーラが強いらしく、
いまだ話し掛けられないでいるのだそうだ。
考えてみれば、いかついマッチョマンがそんなことを思いながら、
ひそかにワタクシを観察してるかと思うとちと怖い。
いっそ、それっぽい人に、片っ端から話し掛けてみようかと思う
今日この頃なのだ。
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