好きだから上達する

風邪ひいたね、完璧。
のどが痛くてクシャミが出る。

週末、夜中まで飲んでるからか。
早く帰ろうと思ったのに、本社のSくんが遅れるからだ。

「マリーンズの最終戦、観てから行きます」って、
いや、そんな遅くなるから無理しなくて良いから。
「今からマリンスタジアム出ま~す!」って
電話来たのが22時過ぎ。

合流したのが0時。
そこから2時まで飲んだ。

そりゃ、具合も悪くなるわ。
Sくんのせいだ。

ということで、ビタミンCと栄養ドリンクで押さえ込んでる。
Scup

そんなんで、効くのかどうかは知らないが、気の持ちようってことで。

さて、ワタクシ、テニスを生業としているが、
ウチの子供たちはテニスをやっていない。

親がテニスをしていると、子供もテニスをする
というパターンが多いようだが、
ワタクシの場合、特にやらせようという気も無かった。

それは、自分自身のスポーツ歴によるところが大きい。

たぶん、前にも書いたけど・・・

小学校低学年では剣道を習っていた。
どうして剣道を始めたのか、記憶が定かでは無い。
おそらく、親の意思でやることになったのだろう。

「この子、もう少しシャキッとさせないと」とか、
「礼儀とか忍耐を覚えさせないと」とか、
そんな理由だろう。

確かに剣道は、気合と根性と礼儀だった。

我が家の庭の鉄棒には、古タイヤが取り付けられ
毎朝晩、100回の打ち込みが義務付けられた。
(近所迷惑だったと思う)

週何回かの練習も、夏は暑いし、冬は寒いし、
防具は重いし、上級生に小手をくらうと、
手がしびれるほど痛いし、辛い思い出しかない。

それでも、何かの大会で幾つかの入賞をしたりと、
まあそれなりに頑張ったのだと思う。
しかし、数年でやめてしまった。

幼稚園の頃からは、スキーだ。

父親が(不幸にも)インストラクターの資格を持っていたので、
冬になると、毎週末のようにスキー場に連れて行かれた。

親とインストラクターという合わせ業で、そりゃあもうスパルタ。
速さを競う競技スキーじゃなくて、フォーム重視のデモスキーだから、
膝の開きがどうとか、体重の掛け方が何だとか、
小うるさいことこの上ない。

確かに基本が出来て上手にはなるが、まったく楽しくない。
冬山には、そんな思い出しかない。

小学校高学年から中学校まではバスケットボール。
これは友達が入るっていうので、つられて入部した。

これがまた、鬼のように怖い顧問の先生で、
本当に殺されるかと思うほど厳しかった。

厳しいだけに、生徒との関係も密で、
練習以外では生徒とも打ち解けるタイプの先生だったが、
先生の懐に入っていけるのは、レギュラークラスの上手なやつらだけで、
あまり上手くない自分は、練習外でも先生が怖かった。

怖いってことが幸い(災い)してか、「退部します」なんて
恐ろしいことを言い出すことも出来ず、6年生まで在籍した。

中学校に入ったら、最初の担任の先生がバスケ部の顧問だった。
小学校の時にバスケ部にいたことがばれて、入部することになった。
しかし、これがまた、小学校の時の顧問以上に厳しい先生だった。

もう、毎日が地獄の特訓状態である。
それでも、ある程度上手で、スターティングメンバーを争うくらいなら、
まだ頑張っている実感もあるが、ベンチ入り出来るかどうかの
当確ラインギリギリだから、試合でも出番が無い程度なので、
何のために厳しい練習に耐えているのか、よく分からない状態だった。

結局、親に言われたり、誰かに誘われて、なんとなく始めたので、
何の思いいれも、目標も無かったのだろう。
それでは、やらされるだけで、上手くなるはずもない。

やっぱり、スポーツでも何でも、自分から「やりたい!」という
気持ちが湧き出なければ、ものにならないってことを
自らの9年の体験で学んだのだ。(長いよ!)

そんなわけで、子供には本人がやりたいことをさせようと、
特にテニス云々の話をしたことは無かったのである。

(気が向いたら続く)

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