久しぶりな人と会った。
7~8年振りだろうか。
ワタクシにとっては、「千葉の母」ともいえる方、マサコさんだ。
入社して2年ほど経ったころだろうか、
ワタクシはトーナメント運営を担当していた。
年間5回、各大会400~800名ほどの参加者の大会だった。
その間にミニトーナメントも数大会開催していた。
レッスンも担当していたワタクシは、当然ながら、
大会会場での運営にはあたれない。
そこで、大会運営のチームが結成された。
スクール会員の方々、そしてそのお知り合いなど、
テニスを知る皆さんがメンバーとなってくれた。
メンバー全員が主婦の皆様。
そのまとめ役をしてくれたのが、マサコさん。
あちこちのクラブを飛び回っていたワタクシに代わり、
トーナメント運営を切り盛りしてくれた。
いや、ワタクシ以上に働いてくれたと思う。
当時、トーナメントはほとんどが手作業だった。
大会案内発送から受付、ドロー作成まで、
膨大な作業を手でこなしていた。
まだ、ノート型のワープロが出始めのころで、
PCが爆発的に普及する少し前のことだ。
そんな中、マサコさんはすべての作業をシステム化した。
大会参加者にIDを割り振り、申し込み受付から
ドロー作成までをパソコンで自動処理できるようにしたのだ。
もちろん、本人にはプログラミングの知識は無い。
協力してくれたのは、ご主人。
しかし、そのご主人も、少し詳しいだけの素人。
OSもウインドウス98が出る前のことだった。
そう考えるとスゴイことである。
マサコさんには、ワタクシと同じくらいの年の息子さんがいる。
そんなこともあってか、よくお弁当をつくってきてくれた。
「息子のをつくるついでだからいいのよ」なんて言って。
当時のワタクシのお昼は、マサコさんによって支えられていた。
色々な悩みも聞いてもらった。
「そうよね~ウンウン」なんて言いながら、
お説教もせず、とことん話を聞いてくれた。
ご自宅にもよく呼んでもらった。
夏休みは別荘に連れていってくれた。
ご主人、息子さんたち、みんなで歓迎してくれた。
一人暮らしのワタクシを、ほとんど家族のように扱ってくれた。
月日が経ち、ワタクシの担当業務が変わったり、忙しくなったり、
様々な環境の変化で、何となく疎遠になっていた。
とてもお世話になったご主人は数年前に亡くなった。
マサコさんにも、息子さんが結婚したり、
お孫さんが出来たりと変化があった。
仕事もそうだが、今のワタクシがあるのは、
マサコさんとその家族によるところが大きい。
彼女がいなければ、今の仕事は出来ていないと思うのだ。
そんなマサコさんの家に久し振りにお邪魔した。
久し振りな感じはしなかった。
そして、相変わらずなのだが、「お腹空いてるでしょ?」と
ご飯をつくってくれた。
(昼なのに・・・)
時間が無くて、あまり話しできなかったけど、
またゆっくりお邪魔しようと思った。
思い起こせば、結構いい年のここまで来るのに、
色々な人たちにお世話になってきた。
入社前にいたテニスクラブでは、会員さんたちにお世話になった。
お金の無いワタクシに、「コーチ、試合頑張って」と
試合前にみんなでポロシャツを買ってくれたり、
誕生日には、「どうせお祝いしてくれる人もいなんだろ?」
なんて、ホームパーティーを開いてくれた。
また、「ご飯食べに行こうよ」と、よくご馳走してもらった。
あの皆さんがいなければ、仕事をやめていたかもしれない。
今の会社に入ってからだが、船橋市で酒屋さんを営む
H澤さんご夫婦にもお世話になった。
ワタクシのレッスンでテニスをはじめたご夫婦だ。
「お客様とはプライベートな付き合いをしない」という
ワタクシの主義を、商売人ならではのフレンドリーさと
強引さ(笑)で中央突破したご主人。
「どうせひとりなんだろ?」と、お酒から食事から、
旅行まで誘っていただいた。
酒屋さんだから、夜は遅い。
ワタクシがレッスンを終えて、帰宅する22時過ぎが食事時。
毎晩、「今日はカツカレーだよ。寄る?」と連絡がくる。
結婚するまで、ワタクシの夕食は毎晩、H澤さんの家だった。
今も家族ぐるみの付き合いだ。
他にも言い尽くせないほど多くの人にお世話になった。
なぜかいつも、何かと助けてくれる人たちが周りにいた。
思えば、本当にありがたく、幸運なことだと思う。
多くのみなさんのおかげで、この場所にいられることを
忘れないように頑張ろうなどと思った次第である。
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