漁とか、プロテニス協会とか。

テニス

こんな岸辺で網降ろすんだ。

それなりに魚獲れるのかな。
とはいえ、このエリアで撮れたの食べるかって言われると微妙かも。


さて、アメリカプロテニス協会の話。

日本プロテニス協会(JPTA)は、アメリカプロテニス協会(USPTA)と業務提携をしている。
プロコーチテストも基本的に共通システムになっていて、
日本のプロコーチライセンスを取得するとアメリカのプロコーチライセンスもついてくる。

そんなわけで日本とアメリカのプロテニス協会の関係は長きに渡る。
そのアメリカプロテニス協会が大きな変革を遂げた。

テニスプロの団体だったUSPTAが、テニスだけなく複数のラケットスポーツを包括し、
それぞれのプロコーチライセンス発行を包括する団体になったのだ。

先日来日したCEOのブライアン氏に聞いたところ、
背景にはテニスコンテンツのシュリンクやピックルボールなどの台頭、
パデルの進出など、テニスだけでなく、ラケットスポーツ全般をカバーする
方向にシフトしたとのこと。

結果、団体名もUSPA(RACQUET SPORTS PROFESSIONAL ASSOCIATION)に改名。

すごい変革である。

もちろん、テニスがその核であることは変わらないが、
戦略的にラケットスポーツ全般をカバーすることへの変革を成し遂げたのは、
驚きの改革である。

プロテニス協会のコンベンションで各種グッズをいただいたが、
ここまでのシフトを成し遂げたことに驚くばかり。

現在のCEO、ブライアンは、アメアスポーツ(ウイルソン)にいたとのことで、
ビジネス畑のトップだからこそ成しえたことかもしれない。

では、それを受けて日本プロテニス協会はどのように舵を切るのか。
今後のテニスビジネス、スポーツビジネスを見据えての決断の時期かもしれない。

もはやプロ選手、プロコーチ、職人の団体では先が開けないかもしれない。
スポーツビジネスとして組織を引っ張っていく執行部体制が必要なのだろう。

ワタクシ自身、微力ながら協会執行部に身を置いているが、
日本のテニス業界、コーチがどうなっていくか、どうしていくかを
さらに真剣に考え、舵を切らなければと
危機感を持つに至ったアメリカプロテニス協会の変革である。

日本も早期に道を示さなければいけないと思う。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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