VESPAとか、インタビューとか。

テニス

VESPA

最近のモデルだよね。
今っぽくはなっているけど、やっぱり雰囲気あるなぁ。
前後のパイプキャリアがいい感じ。
「もう乗らないからこのべスパあげるよ」って人いませんか。(いないね)


さて、先日は大阪方面へ。

日本プロテニス協会のお仕事でインタビューである。
協会が今年で設立50周年を迎えるにあたり記念誌をつくることになったのだが、
その編集委員という名誉あるお仕事を仰せつかった。
簡単に言うと「便利に動ける人」なんだろうけど。

ということで、創設当初のキーマンの皆さんにお話を伺っている。
50年前の創設メンバーの皆様だから、皆さんそれなりの年齢になっておられる。
初代理事長の石黒修さん(石黒賢さんのお父様)をはじめとして、
何人かのお方はすでに亡くなられていたりとインタビューは難航。

加えて、ワタクシから見たら全員雲の上の偉い方々。
こちらからは存じあげているが、「キミは誰だっけ?」の関係性。
緊張もするし、ヘタなことを聞いて気分を害されたり、怒られるのも怖い。
なかなかのプレッシャーがかかる役割りだったりするのだ。


で、この日は創設メンバーのおひとりである、
大阪の森良一プロを訪ねた。


同席いただける太田プロに「どちらに伺えば良いですか?」とお電話したら、
「甲子園に来て」とのこと。
「甲子園ですか?それともJRの甲子園口ですか?」と聞くと、
「とにかく電車に乗って甲子園にきたらええ」とのこと。

たしかJRの甲子園口と阪神の甲子園駅って離れてるんだよなぁと思いつつ、
甲子園球場を目指す。

初めて降りたぜ甲子園。

駅前にはタイガースショップ。

試合がある日はすごいんだろうなぁ。
交流戦の千葉マリンスタジアムでも阪神戦は異様な雰囲気になるし。



近所のホテルでようやくお会いでき、2時間ほどのインタビュー。
森プロご自身のこと、当時のこと、協会設立から軌道に乗るまでのことなど、
事前に歴史を整理して書き出してくださっていたので
非常にスムーズにインタビューは進んだ。

その中で森プロがおっしゃっていたのは、
「テニススクールができた頃は関東にも関西にも数校しかなかったから、
遠くからたくさんの人が集まって来た。
あれだけ人気のあるスポーツで設備や人を考えると価格設定が安すぎたなと思う」
とのこと。

「今もテニススクールは単価が高くはないですよね」と言うと、
「そうやな。ワシらが決めたんやけど、安すぎたなぁ」
そこで「張本人か〜い!」とも言えるはずもなく、続きのお話を伺った。


今は日本プロテニス協会の仕事に直接関わっていただいてはいないが、
これからのテニス業界、プロテニス協会のことを色々と心配してくださっていた。

ワタクシ、こうして森プロと話をするのは初めて。
昔、プロテストのテスターで森プロが来るとめっちゃ怖かったなどの
伝説などを聞いていたので、けっこうビビっていたのだが、
とても親切にお話いただいた。
やっぱり一時代を築いた方は大きいなと感じいりつつ、
いつまでもお元気でいていただきたいと思った甲子園。

貴重な機会をありがとうございました。
またお会いできればウレシいです。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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