どこだったっけ。
紅生姜の串揚げってめっちゃ美味しいよね。
以前は関西では食べられるって感じだったけど、
最近は関東でも食べられる店が増えたのがうれしい。
さて、石の上にも3年とはいうけど。
20代前半、某スポーツクラブチェーン本部社員を辞め、徒手空拳でテニスコーチになった。
最初にお世話になったのは、学生時代にアルバイトをしていたスクールの代表Sさん。
小規模ながら会社組織にしていて、いくつかのクラブでスクールを請け負っていた。
最初は船橋市の3面のテニスクラブの中でのスクールだった。
そしていきなりそこを任された。
最初にSさんに言われた。
「まずは3年ここで頑張ってみること。3年やれば何かが見えるかもしれない。
そしてその先は10年頑張ってみる。そこまでやれば、何かしらにはなっているはず」
まだ若かったのと、そもそも先の数年なんてことを考える余裕もなかったので、
「そういうものなのか」程度に聞いていた。
ずっとそこにいるとも思わず、かといって何年で辞めるなり、独立するとも思わず、
とにかく飛び込んだ職業コーチの世界で、1日ずつ生きていくことで精一杯だった。
毎日レッスンをして、練習をして・・・結果的に、Sさんの元を3年弱で離れた。
年度替わりというか、季節要因もあって、丸3年はいられなかったが、
ほぼ3年そこでやってみて、なるほどと見えたことがあった。
それは「このままでは立ちゆかない」ってこと。
実績も戦歴も実力もない若造だったから仕方がないのだけど、
さすがに月給15万円(社会保険なし・交通費込み)では
ラケット、シューズも買えないし、試合にいくにもお金がない。
加えて、そこのクラブのオーナーさんは本業は自営の建築関係。
スポーツやテニス、そしてお客様商売には縁のない方だった。
テニスクラブは土地活用にであり、おそらく相続までの繋ぎ。
家族経営だから、奥様が夕食の準備で家に戻ると、
職人のご主人がすでに晩酌をしている赤い顔で不機嫌に店番(フロント)に来る。
オーナーさんだし、それぞれの事情があるのはわかるが、
ワタクシが思い描くテニススクールとは程遠いものだった。
そんなわけで、3年弱で「ここじゃないな」というのが見えた。
見えたのが前向きな光ではなかったが、とにかく何らかが3年で見えたわけだ。
「もっとビジネスとしてテニススクールを運営しているところへ」
そんな思いで門を叩いた会社で長らく働かせてもらうことになるのだが、
そのへんの話はまたいつか。
いずれにしても、ある程度やらないと良いも悪いも分からないってこと。
早期の見切りも必要かもしれないが、やってみて粘ってみて分かることもある。
あの駆け出しの3年弱には死んでも戻りたくはないが、
それはそれで貴重な経験だったし、学んだこともたくさんあった。
そしてその頃にSさんから学んだことは、今も自分の根底にあり続けている。
ワタクシのテニスコーチ人生のスタートアップの
ひと転がりを支えてくださったSさんには感謝しかない。
数年前までは大会会場などでたまにお会いすることもあったが、
最近はまったくお目にかかることはない。
聞けば、故郷の鹿児島に帰られたとか。
まあそれくらい年齢が離れた師匠だったのだな。
3年。
長いようであっという間な微妙なターム。
その後も3年を目安に、コーチ業というかテニスの仕事を続けるかを決めてきた。
3年後のある程度のイメージを描き、3年経った時にそこに近いことが出来ているか、
イメージしたところに繋がっていることが出来ているか。
出来ているなら、もう3年やってみようみたいな。
あの時、Sさんが言った「10年」を超えた頃には
駆け出し当時は思いもしなかった方々と仕事が出来たり、
繋がりが出来たり、名前を覚えていただいたりしていた。
他者から「すごいですね」とか「顔が広いですね」と言われることもある。
そんな時には「長くいるだけです」と答えることにしているが、
そこに長くいるだけで何者かになれるのかは分からない。
ただ何も考えず、動かず、居場所をポンポンと変えることで
キャリアや評価が生まれるとは思えない。
若手の皆さんもまずは3年やってみることかなと思うのだが、
その辺の話は次回に。
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