両親と会うのは何年振りだろうか。
コロナ禍になってからは帰省もできず、たまに電話するだけ。
久しぶりに会ったら、クルマが変わってた。
前はEクラスだったような。
寄る年波で少し小さくしたのかな。
これがなんてやつなのかは知らんけど。
さて、某日。
東北自動車道を北上。
実家からの指令があったのだ。
「緊急事態宣言も解除になったし、家族会議をするので中間地点に集合。ゴルフ付きね」
ということで、着いたのが東北道・矢板ICから少し走ったゴルフコース。
宿泊も出来て、食事も美味しく、温泉つきのゴルフクラブ。
両親がよく使っていて、支配人とも懇意にしているらしい。
着いたのは夕方。
なんか海外みたいな雰囲気。
本当は少人数では取れないヴィラを押さえてくれた。
内風呂は源泉掛け流しの檜風呂。
美味しい食事。
お腹いっぱい。
寝ていいですか?
とはならず、リビングで家族会議。
家のこと、ウチの会社のこと、老後のこと、葬儀のこと。
今後起こるべきことについて、両親の考えを聞いた。
ちなみに葬式は散骨で申し込んであるから、心配はいらないとのこと。
「散骨に立ち会うとオプション料金かかるから来なくていい」だって。(おいおい)
当然、お墓もいらないって。
小さいながら商売をしている会社のことについても、
現状や今後について話し合う。
ワタクシの小さい頃、母は専業主婦として毎日家にいた。
学校から帰ると、洋裁の内職をしている部屋に行き、
ストーブの上で給食で残したコッペパンを焼いて、
それを食べながら、母の洋裁仕事を見るのが好きだった。
そんな主婦だった母。
ワタクシたちが家を出てから、自分で仕事を始めた。
たぶんすでに50歳を過ぎていたのじゃないだろうか。
最初はまったく仕事にならなかった。
数千円の商品を客先に届けるのに、軽自動車で吹雪の峠を越えたそうだ。
「ここで車が故障したら死んじゃうんだろうな」と思いながら山道を走ったと聞いた。
いつしか少しずつ扱いが大きくなり、個人事業主から会社組織にした。
ワタクシにはわからない、大変な苦労があったはず。
そんな母も80歳を越え、家や会社や仕事の先を考えるところに差し掛かった。
いちおう長男のワタクシに必要なことを伝えておきたいということらしい。
両親の思いを聞き、ワタクシの現状を話し、
今後どうしていくかを話し合った。
そして母が言った。
「引き際を自分で決められる人生を歩きなさい」
っていうか、アナタ、全然引いていないし。(笑)
80歳過ぎて、仕事も現役、メルセデスを乗り回し、ゴルフもスキーも。
おそるべし。
そうだね。
人生後半、自分の道は自分で決めないとね。
これまでずっと、上を支えて長いこと裏方家業をやってきた。
もういいかな・・・って言えるくらい影で頑張ったし。
専業主婦が徒手空拳で事業を始めて、
ここまで苦労してきた母親の言葉は胸に刺さった。
オレなんてまだまだ小僧だなって。
オレはこれまで何をしてきた?
そしてこれから何をする?
後悔しない人生を送らなきゃと思った、栃木の夜。
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