なに?これとか、それを言えるかとか。

クルマ

何?このクルマ。

ベースはトヨタ車だけど、屋根の装備はなんだろう。

Googleのクルマかな。
それにしても超未来的。

さて、大変だなぁとか、不便だなぁとか、これ意味あんの?
とか思ったりすることって少なくないと思う。

何故だか提出書類や報告書がとても多くて、仕事のかなりの部分を占めてているとか。

どうして同じような報告を別の形でダブってしなければいけないんだろうとか。

ファイルをこういうふうに統合されると分業が出来ないんだよなぁとか。

毎度報告しているけど、この数字どう使われているんだろうとか。
 

組織というのは月日を重ねるたびに書類や報告が増えていくもの。
一方で、何かが削減されていくことはほとんどない。

提出する方は手間がかかるが、受け手側にはその手間がわからないし、
「何が」ではなく「誰が」決めたかで、廃止の手が鈍ったりもする。

何かのタイミング、それこそトップダウンの大号令で、
「無駄を見直せ。要らないものはバンバン廃止せよ」
と思い切りよく整理しないとモノもコトも減らない。

つまりは無駄と理不尽はいつの間にか積み重なっていくもの。

現実に「無駄では?」といちばん感じるのは、
報告する側の一線のスタッフたちだったりする。

しかし本部と現場の力関係なのか、
なかなかそれが声になって出てこなかったりもする。

突っ返され続けてきた歴史のなかで
言葉にすることをやめてしまったのかもしれないが、
違うのでは?無駄では?意味あるの?と思ったら、言ってみるべき。

喧嘩腰じゃダメだし、言い方に配慮は必要だけど、言ってみることが大事。

それに対して「決まっていることだから」という、
まったく答えになっていない理由で突っぱねられたら、
そんな組織や上司は見限ってしまえばよい。
入り口でそんな対応しかできないなら、どうせ良くならない。

もう少し遡って考えてみる。

「大変」なのが、「なんか大変」「だけど言われたからやる」だと問題。
大変なのはどこかに問題があるはず。

それを大変なままに受け入れて、大変な思いを続けると、
いつかミスが出るし、遅れも出る。
何より身体に悪い。

「大変」に問題意識を持つこと。
なんで大変なのか?

仕組みに問題があるのかも。
そもそも業務量の振り方に無理があるのかも。
要らないものはないかな。
もっと楽に早くできないかな。

「発明は不便の発見から」と言った人がいたが、
「大変は問題発見のカギ」じゃないかと思う。

言われるがままに大変さを享受しちゃダメ。
ずっと大変さを受け入れ続けているのをみると、バカなのかな?と思う。
もちろん「大変なのは自分の能力が低いから」もあるかもしれないけど、
それも程度の問題。

問題発見能力は仕事の大事なスキルだと思う。

処理能力の高い優秀な人にしかこなせないような業務はおかしい。
その組織がエリート集団ならまだしも、普通の組織なら普通に出来るラインを探すべき。
身の程知らずの業務配分は組織の動きを止めるだけだ。

何にしても、まずは大変さを感じること。
そして疑問を持つこと。
そして文句ではなく、提案をすること。
それが改善てことだと思う。

おかしいと思いつつ、こうすれば良いと思いつつ、
意見を言うと損をするからと口を開かないしょっぱいヤツはそもそもダメ。
意見を言うことに「もの申すなんて失礼な」なんて反応の組織もダメダメね。

ああ、それを風通しっていうのかな。
提案も同じ構造だよね。
各階層で皆が考えないといけないことだね。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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