75周年とか、ルールとか、

テニス

この状況もあって、テニスメーカー各社の展示会も様々。

ヨネックスさんは毎年、品川の大きなホールで開催しているが、
今年は残念ながら中止を決めたとのこと。

とはいえ、直前での中止なので会場は設営し、
商品などを撮影して配信での展示会に切り替えたのだとか。
せっかくの大ホールなので、一部の取引先だけ時間を切って招待。
ワタクシもボスと一緒にお邪魔して来た。

入り口でこんなピンバッヂを着けていただいた。
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ヨネックスさん、今年で75周年なんだそうだ。
素晴らしい。

実はRECもあと2年で50周年を迎える。
世の中に必要される企業、後進に安心して渡せる会社にしたい。
頑張ります。

 

さて、ある日の西武線。

レックインドアテニススクール上石神井に行こうと新宿から乗車。
後から乗ってきたおじさん(60代後半くらい?)が
席に座って缶コーヒを開けて飲み始めた。

一気に飲み干して立ち上がるおじさん。
発車にはまだ時間があるし、車内も空いている。
ホームのゴミ箱に捨てに行くのだろうと思ったら・・・

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なんでそういうことするかな。
ダメでしょ。

 

タバコのポイ捨てとか、ゴミとか、その他の公共マナーとか、
こういうのって、年齢関係ないよね。

「最近の若いヤツはマナーがなっとらん」という括りはないと思う。
むしろご年配の方のほうがひどいなと思うことのほうが多かったりする。

昔って、歩きタバコもポイ捨ても普通だったし、
そういう感覚がないんだろうな。

若くたってちゃんとした人はちゃんとしてる。
いい歳だって、ちゃんとしてない人はしていない。

 

結局、どう育って、どう過ごしてきたかなんだろうね。

常識だって、マナーだって、言葉遣いだってね。
食べ方もそうかな。

あ、お箸の持ち方は、ワタクシも微妙かな。
よく見るとバレるみたいな。

なんせ、海外生活が長かったからお箸はちょっとね。(ウソ)

 

子供の頃、我が家は食事の時はTVも消して、正座。
一緒に「いただきます」と言い、全員が食べ終わって、
「ごちそうさまでした」と言うまで正座のままがルールだった。

晩酌をしない家だったってのもあるけど、
このルール、部活で食事の時間に帰ってこなくなるくらいまで続いた。

身体が異常にかたくて、正座が苦手、あぐらはかけないワタクシには苦痛だった。
自分だけ急いでも、結局待ってなきゃいけないし。

さすがに実家も今はテーブルだし、飲んじゃうからそんなルールはないけど、
それはそれで、よかったのかもしれないなと思う。

 

他にもいくつかのルールがあったっけ。

・格闘技番組は見せない
・漫画は買わせない
・朝起きたら、玄関の掃き掃除か、廊下の拭き掃除をする
・お客様が来たら正座して手をついて「いらっしゃいませ」と挨拶する

あとなんだっけな。
忘れちゃったけど、昭和40年代だとまあまあ普通なのかも。
他の家は知らないけど。

ちなみに、漫画は禁止だったはずなんだけど、
ワタクシ、毎月、「りぼん」と「花とゆめ」は買ってた。
少女漫画はOKてこともなかったと思うんだけど、なんでOKだったんだろう。

あと、高校生の頃、冬は屋根に積もった雪の中に
コーラの1.5L瓶と樹氷(焼酎)の瓶を入れておいて夜中に飲んだりしてた。
タバコは・・・うーん。

一見、厳しいルールがありそうな家でも、こんな子供に育つということは、
前段で書いたことは違っているってことになるのか・・

でも、ポイ捨てとかということは子供の頃に刷り込まれたんだと思う。
やっぱり、親の影響は続くんだよね。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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