謎肉とか、清水善造メモリアルとか。

テニス

こんなのあるのね。
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カップヌードル・年に一度の謎肉まつり。
思わず買ってしまった。

おお!謎肉大盛り。
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カップヌードルを初めて食べたのって、
大阪万博の年だったかなぁ。

米屋を営む東京のおばあちゃんが箱で送ってくれた。
東京の人はこういうの食べてるのか・・・とは思わなかったけど、
袋ラーメンとは違う独特の味が不思議だったっけ。
あの時と今は味も違うのかな。
でも謎肉のインパクトは大きかったなぁ。

 

さて、そんなわけで、高崎オープン会場。
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会場名は「清水善造メモリアルテニスコート」。
日本のテニスの礎を築いた清水善造氏がここの出身ということで、
名付けられたコート名称だそうだ。

清水善造氏といえば、テニスプレーヤーとして世界を転戦し、
ウインブルドン決勝では、かのビル・チルデンと戦った方。
今でいえば、ウインブルドン決勝でジョコビッチやフェデラーと戦うってことだ。

決勝は敗退したが、その時の逸話が「柔らかなボール」という話で
教科書にも載っていた時代があった。

試合中、チルデンが足を滑らせ転倒した時、
清水氏はわざとゆっくりなボールを送り、チルデンの体制立て直しを待った。
これぞスポーツマンシップという美談だった。

が、かの本によれば、清水氏にはそんな意識はなく、
「私のボールはもともと遅いのでそう見えたのかも」
と答えたとあった。

しかし、当の本人がチルデンの価値を落とすようなことを言うわけもなく、
実際のところは藪の中である。
とにかく、そんな人格者が日本のテニスの基礎をつくってくださったということだ。

 

実はワタクシ、この清水善造氏とちょっとした縁がある。
もちろんご本人は存じ上げるわけもない。

あ、そうだ。
善造氏のお孫さんは、俳優の清水善三氏である。
ご本人も日大の体育会出身で、テニスバリバリのお方。
デビュー作のドラマ「青が散る」では見事なプレーを披露されている。
その後は欽ちゃんの番組で活躍したこともよく知られている。

話がそれた。

ワタクシがお世話になったのは、清水善造氏の息子さんの善郎さん。
テニスコーチになって最初に師事したコーチが清水善郎さんとお知り合いで、
何度か一緒に飲みに連れていってもらったことがあった。

日本のテニスの草分けの清水善造さんの息子さんといっても
あまりに雲の上のお話で、現実味もなかったというか、
優しいおじさん(おじいちゃん?)という感じだった。

ある時、善郎さんが、「うちに遊びにいらっしゃい」とお声がけくださった。

もちろん断る理由もなく、ありがたたくお邪魔させていただくことに。
待ち合わせ場所は、善郎さんが所属しているテニスクラブ。
テニスをした後で家に行こうということらしい。

お邪魔したクラブは柏ローンテニスクラブ。
今はもうないが、会員プレートに皇族が名を連ねる名門クラブだった。
何度か試合でプレーしたことはあったが、何度行ってもその雰囲気は独特で、
ワタクシなんぞが足を踏み入れて良いのだろうかと思うような空気感だった。

コートへ行き、善郎さんに挨拶し、プレーは・・したっけ?
緊張してもそれすら憶えていない。

 

で、清水家へお邪魔し、食事をご馳走になり、色んなお話を聞かせてもらった。

ふとリビングの棚を見ると中にいくつかのトロフィーやカップ。

「テニスのトロフィーですか?」

「そうだよ」

「見せていただいていいですか」

「どうぞ。戦争でね、鉄はずいぶん持っていかれちゃってこれしか残ってないんだよ」

「そうなんですね」

「これだけはと勘弁してもらったのがこれ」

手渡されたカップの刻印には、ウインブルドンの「SECOND PRIZE」の文字。
清水善造氏のウインブルドン準優勝カップだった。

途端に手が震えて取り落としそうになった。
っていうか、そんなものワタクシに触らせていいのかな。

当時は携帯電話もなく、カメラも持っていなかったから、
写真を撮るわけでもなく、歴史的なカップをしげしげと眺め、
そのままお返しするだけだった。

今だったら絶対に写真撮りまくってるよね。
いや、緊張してやっぱり撮れないかな。

しかしたしかにウインブルドンの準優勝カップはワタクシの手の中にあった。
今思い出しても夢のような出来事だったけど、
そんな出会いをつくってくださったテニスコーチの師にも感謝である。

今はもう、清水さんとも、師匠とも会うことはないが、
テニスを通じた出会いの中でもとても大きな出来事だった。

そんなことを思い出しながらの清水善造メモリアルコートで
Team RECのメンバーが戦っているのはとても不思議な気分だった。
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テニスっていいね。(しみじみ)

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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