終了とか、ベスパとか。

映画

流血騒ぎを起こした額の傷。
ほぼ毎日、病院で洗浄&消毒。

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結構大げさなガーゼを額に貼っての生活。
会う人会う人に「どうしたの?」と聞かれ、
いつも行くコンビニの店員さんにまで心配される始末。

いつ縫合するのだろう。
痛いの嫌だなと思っていたら、医師曰く。

「傷は縫わないことにします。
皮膚の回復力がとても強いので、そのまま待ちましょう」

ということは時間が掛かるってこと?

「土日はどうすれば良いですか?月曜も来れませんが」

「奥様に消毒とガーゼ交換してもらってください。
外科の経験はありますかね?」

「知りません。多分外科は無い・・かな」

「滅菌ガーゼと消毒液で大丈夫でしょう」

ということで、ケア役は妻になった。

週明け、病院へ。

「ああ、よくなりましたね。いちおうこれで終わりってことで」

バンドエイドを貼ってもらって終了。
傷にかさぶたがついてるから、まだバンドエイドは必要だけど、
年越さなくて良かった。

もうこんな思いはゴメンだぜ・・ふう。

 

さて、ウォーキング途中の原宿あたり。
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いいなぁ、ベスパ。
やっぱりこの年代のペスパがいいな。

ベスパを初めて知ったのは、松田優作の探偵物語だったか。
当時はなんとなくこの50Sのイメージだったけど、
今見てみると、工藤ちゃんが乗ってたのは、Pシリーズなのね。

さらにベスパの印象が強いのが、映画「Quadrophenia」。
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1979年の作品である。
邦題は「さらば青春の光」だったけど、まあいいタイトルだ。
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この映画は、ロンドンのモッズを描いたもの。
デコレートしたベスパに細身のスーツ、そしてモッズコート。

モッズのリーダー役で、ポリスのスティングも出演していた。
いやぁ、カッコ良かった。

あんなカッコしてベスパに乗りたいって、
本気で思ったもんね。

大学生になって、買ったスクーターはもちろん・・・
・・・スズキ・ジェンマだった。

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(実写画像が残っていないので、プラモデル画像)

貧乏学生にはとてもじゃないがベスパは手が出なかった。
あの頃のベスパはすぐに壊れそうで、
日常の足にするのは厳しそうだったし、
何より修理代が出せるだろうかって躊躇が大きかった。

日本製の原付でいちばんベスパっぽいのが
ジェンマってことで、迷わず購入。

この頃はまさにバイクブーム。
そして高速スクーターが各メーカーから次々に発売されていた。

ヤマハ・ジョグ、ホンダ・リード、チャンプ等々、
革ツナギを着て乗ってるヤツも多かった。
あまりにスピードが出過ぎて、
法的規制がかかってしまった時代だ。

そんな中、サスはふにゃふにゃ、
加速もイマイチのジェンマだったけど、
ホントにお気に入りの足だったっけ。

最近はこんなバイク、少ないよなぁ。
やっぱりオールドベスパがいいな。
誰か要らないベスパありませんか?(無いよ)

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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