次男のおたふく風邪が収束に向かうも、
今度は長男が39度台の発熱。
こりゃ、季節性インフルエンザかなと思ったが、
症状からみるにちょっと違うようだ。
本人は塾に行けないのと、テニスが出来ないのが
とても悔しいようだが、幸いにも冬休みに入っているし、
ゆっくり休んでもらうしかない。
さて、冬の富士山、不幸な事故が起きた。
片山右京氏とそのお仲間の登山事故だ。
報道では、片山さんを叩いたり責任を追及する論調は少ない。
実際、その譲許ではどうしようもなかったのだろう。
自分の生命の危険もあるのに、12時間も2人に
寄り添っていただけでも普通じゃない責任感だと思う。
アルピニストの野口健氏がインタビューに答えていた。
「これは仕方ないです。片山さんを責められることじゃないです。
山に登ったら、自分の命は自分で守るしかないんです。
片山さんはじゅうぶん過ぎるくらいの対応をしたと思います」
野口氏の話は、TVやラジオで何度か聞いたことがあるが、
その飄々とした語り口と内容のすさまじさにギャップがスゴイ。
一緒に山に登った仲間が、恐怖に耐え切れずに
精神的におかしくなり、自ら飛び降り命を絶った。
頂上目前、座ってひと休みして、「さあ行こうか」と
隣の仲間に言ったら、そのまま絶命していた。
山頂付近で迂闊にゴーグルを外してしまい、
強烈な紫外線にやられて失明してしまった。
常に死と隣り合わせの状況を何度も経験している。
そんな話を重くでなく普通にされる。
本当に突き抜けるっていうのはこういうことかと思わされたりした。
実は、ワタクシの身内にも山の男がいる。
親族中、一番好きで一番尊敬している叔父だ。
叔父は大学時代、山岳部だった。
70歳近い今も、その大学の山岳部の総監督をしている。
昔はよく、「来月から中国の山に行ってくる」と言っては、
半年、一年と日本から姿を消していた。
少しだけ写真を見せてもらったことがあるが、
雑誌やTVで見るようなアルピニストの写真そのものだった。
おそらく世界中、あちこちの山を登ったのだろう。
叔父もやはり、「吹雪で1週間動けなくて、終わりかなと思った」
みたいな話を普通にする。
「こんな経験をした自分」を鼓舞するような素振りは皆無。
いたって普通に、死と隣り合わせのその状況を話す。
それなのに、また山に登る。
叔父に、「どうして山に登るの?」と聞いたことは無い。
なんとなく聞いてはいけないような気もしたし、
聞いても答えが返ってこないような気もしたからだ。
そんなバックボーンがあってか、叔父は恐ろしく肝が据わっている。
家族・仲間は絶対に裏切らない。
相手が警察でもヤバイ筋でも、おかしいと思えば向かっていく。
何度か会社起こしたり、潰したり、でもそのたびに這い上がる。
とにかく、男の見本のような人間だ。
それが、山岳部で培われたものなのかは分からない。
しかし、死が隣にある山という厳しい状況が
何らかの影響を与えていることは確かだろう。
#姉であるワタクシの母に言わせると、
子供の頃からムチャクチャだったらしいけど。
そんな叔父はワタクシの憧れであり、届かない存在だ。
叔父は時々電話をしてきて、ムチャクチャなことを言う。
「起きてたか?今から来い。2時間もあれば来れるだろ」
夜中である。
200km離れた叔父の家まで来いとは、ひどい話だ。
しかし、ワタクシは行く。
ムチャクチャでも、叔父に呼ばれたことが嬉しいのだ。
だから、夜中に200km先まで車を飛ばす。
かつて、一度だけ叔父に逆らったことがある。
(正確には逃げた)
学校も行かずアルバイト三昧、ヘラヘラと女の子と遊び、
夜な夜な盛り場で夜を明かしていた軟弱なワタクシ。
親も叔父も、「いい加減にせい!」と思っていたらしい。
あるとき、叔父に呼ばれた。
「お前は大地震がきたら、誰より先に死ぬタイプだ。
オレが泥水飲んででも生きられるようにしてやる。
来年1年間、大学を休学して、インドを放浪してこい。
インドまでは、オレが漁船を紹介してやる」
すでに親にも話をつけてあった。
親は、「あの子はお前任せる。ぜひそうしてくれ」と言ったらしい。
このときばかりは、ワタクシも本気でビビッた。
叔父は本当にワタクシをインド送りにするだろう。
逃げた。
半年、親とも叔父とも連絡を取らなかった。
こりゃダメだと諦めたのか、インド放浪計画は立ち消えになった。
少しだけ生活態度を改めたからかもしれない。
結局、この歳になってもワタクシは叔父には追いつけないし、
いまだヘラヘラした軟弱野郎のままだ。
修羅場も何も経験せずに、フラフラと今日まで来たからだろう。
それだけに、ワタクシとは真逆の場所にいる山岳の人たちは
ワタクシの憧れである続けるのだと思う。
今回、命を落とされたお二人には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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