期待通り?とか、理事とか。

テニス

西友にあったメチャ安カップ焼きそば。
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焼きそばもこんな形状あったのね。

あまり期待せずに食べてみた。
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期待しない通りだった。(苦笑)
まずくはないけど、もういいかな。

 

さて、日本プロテニス協会の仕事を手伝うようになって2年。

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簡単に言うと、理事になったのだけど、もうすぐ任期の2年が終わる。

 

プロテニス協会の役員は選挙で決まる。
任期が終わる2年毎に全国の会員による選挙で執行部役員が決まるのだ。

初めての今期はコロナ対応でじゅうぶんな活動ができなかったこともあるし、
1期じゃ思うような貢献もできないでしょってことで、今期も立候補した。

自分の認知度なんてわからないけど、まあ落ちたら落ちたでそこまでってことで。

 

で、選挙結果の通知が届いた。
当選だそうだ。

得票結果を見たら、思いの外の得票数。
ありがたいやら、プレッシャーやら。
また1期頑張ってみようと思う。

 

日本プロテニス協会はもうすぐ設立50周年を迎える。

4人の名プレーヤーが日本のプロテニスに風穴を開けたのが最初。
プロ資格を取ると、県選手権には出られないって時期もあったっけ。
様々な壁を破り、テニスプロの社会的立場を築いてきたプロテニス協会。

先人の思いを受け継ぎつつ、テニスプロの新たな道を開くべく動いて行きたい。

 

で、現在、こんなことも手伝っている。

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50周年記念事業だ。
長年の歴史を刻む記念誌の編集、執筆なども担当しているのだ。

様々な歴史的資料を紐解いていくと、思わず手が止まって見入ってしまったり。
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懐かしいプレーヤー、重鎮の大先輩会員の若かりし頃など。
この歴史に恥じない協会にしないとと、あらためて思ったり。

それにしても、会社の仕事も多いけど、協会の理事も仕事多いね。
まあ、実務派の理事じゃないとなった意味ないし、頑張るしかないな。

 

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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