ファミチキとか、いすゞとか。

クルマ

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ファミマで発見!

新しいものには手を出しておけって、じいちゃんの遺言で。

え〜と、ファミチキでした・・・


さて、某日の幕張メッセ駐車場。

なにやら車が並んでいる。

近寄ってみた。

昭和の名車、ISUZU117クーペが並んでいる。
小学生の頃、117クーペに出会うとテンション上がったけなぁ。
ジウジアーロがデザインしたこの車、高級車だったんだよね。
調べてみたら、新車価格172万円、ハンドメイドで月産50台だって。

隣には・・・

PIAZZA(ピアッツァ)だ。
117クーペの後継車として、これまたジウジアーロがデザインした。
先進的なフォルムだけど、走りはダメダメだった・・と世良公則が言ってた。
ワタクシはまだ免許を持っていない頃なので、よく分からないけど。

しかし、117もピアッツァもこのコンディションの個体がまだあるんだね。
ちなみに遠くに見えるのは、SUBARU・アルシオーネ。
早く生まれすぎた先進車って感じかな。

そういえば、小さい頃は街を走る車の名前を言うのが楽しかった。
「あ、バイオレット!」
「チェリーだ!」
「スカイライン、かっこいい!」
「マツダ・キャロル〜!」
「サニー・クーペ!」
「ギャランGTO!」
「セリカリフトバックだぁ!」

なんて感じで、見た車の名前を全部言ってた気が。

車種で年齢が分かちゃうと思うけど、昭和って車は憧れのアイテムというか、
日本人の生活レベル向上の象徴的な位置付けだったよね。
我が家も、スバル360〜スバルR2〜カローラ〜スプリンターみたいな感じだったし。

昔の車って楽しいていうか、これからすべてが良くなることしか見えない時代だったなぁ。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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