某所にて。
VESPAだ。
適度にやれていい感じ。
リアのキャリアも雰囲気が出ている。
VESPA P125X
探偵物語で工藤ちゃん(松田優作)が乗ってたのは、P150Xだったかな。
やっぱりVESPAっていいね。
もう一度だけバイク乗りたいなぁ。
さて、こんなワタクシにも親もいるし、親戚もいる。
ほとんど付き合いないけど。
よくある話だが、親戚の中にひとりくらいは豪快にはみ出した人がいたりする。
母の弟、つまりワタクシの叔父もそんな人だ。
子供の頃から無茶をし、牛乳配達のアルバイトでは
仲間に配達する牛乳を振舞ってしまったり、
とにかく型破りだったとか。
大学では山岳部に所属し、世界の山を登って来た。
卒業してからも総監督として山岳部を仕切っていた。
実は大学受験の時、叔父の大学に連れていかれた。
山岳部の部室に向かうと学ランの強面のお兄さんたちが
直立で並び、モーゼの十戒よろしく道をつくっている。
次々に「押忍!」と挨拶する学ランロードを
叔父と一緒に進み、部室へ。
「お茶失礼します!押忍!」
お茶でこんなにビビったのは初めてだ。
そして叔父。
「お前ら、こいつ来年ここに入れるからよろしくな」
ひときわ大きな「押忍!わかりました!」
いや、こんなバリバリのところには入らないから。
体育会は入らずにテニスサークルに入って、
女の子たちと楽しく遊ぶって決めてるし。
何が悲しくて、学ランとか、辛そうな山登りしなきゃいけないのだ。
思い描いていたバラ色の学生生活に
思い切り暗雲が立ち込めた悪夢の部室だった。
って、なんで叔父さん、オレの大学決めてるんだろう?
結局その大学に入ることは回避できたけど、
あそこで押し切られていたら、また違った人生だったんだろうな。
学生時代は、テニスコーチのアルバイトと、
叔父が経営する飲食店でのアルバイトで毎日が過ぎていった。
横浜の叔父の店が終わると皆で夜の街に繰り出して遊んだ。
叔父にも野毛あたりでよく飲ませてもらった。
伊勢佐木町のオカマバーにも連れて行ってもらったっけ。
叔父さん、おかまのケンケンとどうしてあんなに仲良しだったんだろう。
二人でバイクでツーリングにも行った。
ちなみに叔父が本当にバイク免許を持っていたのかは知らない。
たぶん持ってたんだろうけど、そういうことを超越しているような人だった。
夜中にもよく呼び出された。
「おお、起きてるか。今から飯食いに来い」
千葉から三浦半島の突端まで100kmの道を走った。
怖いとかそういうことじゃなくて、
叔父が「来い」と言ってくれることが嬉しかった。
とにかくあらゆることが豪快だった叔父にすごくお世話になった。
母親も叔父を信頼していて、「この子は預けるから鍛えてやってくれ」って感じだった。
ある時、叔父が言った。
「お前はひ弱だ。大地震が来たらたぶん最初に死ぬ。
泥水すすっても生きていけるようになれ」
「どういうこと?」
「インドに行け。1年放浪して来い」
「インド_?」
「1年インドを放浪すれば少しは強くなるだろう」
「学校が・・」
「休学しろ。お袋(母)もそれでいいってよ」
「どうやって行くの?インド」
「おれが漁船を紹介してやる」
さすがにビビった。
母親もそれでいいって・・・なんつう親だ。
でもそれは無理だ。
しばらく横浜に近づかず、その話を葬った。
とにもかくにも豪快を絵に描いたような叔父。
もう何年も会っていないが、人生の師匠であり憧れの存在だ。
しばらく前、叔父が体調を崩したと聞いた。
叔父らしく、誰にも会わないと言っているとも。
会いたいが、連絡をしたら怒られそうだ。
会いたい人に会えない、近くにいたい人のそばにいられない。
それでも自分から突っ込んで行くべきか。
難しい。
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