会社近くの定食屋。
予備校の多い代々木の土地柄か大学名がメニューだ。
この日は何かと話題の日大を頼んだ。
ちょっとボリュームありすぎだけど美味しい。
日大ブランド、頑張れ。
さて、世間は毎日あれこれと騒がしいが、
色んなことが起こるのは身の回りも同じ。
トラブルなんて毎日のことだ。
ビジネススキルにおいて、問題発見力と解決力は
非常に重要であると位置付けられているが、
実際、事が起きた時に平常時では見えなかった地力が浮き彫りになる。
「すべて管理者である私の責任です」
とても潔く、リーダーっぽいが、これでは全然ダメだと思っている。
重要なことは謝罪でも潔さでもない。
あ、もちろん謝罪は大事。
謝罪もなしに理屈を並べられたら穏やかには聞けないし、
「お前、ことの重大さ分かってんのかよ!」ってことになる。
「すみませんでした」はまず必要。
しかし、ただただ謝られると腹がたつ。
心のこもった謝罪は一度でじゅうぶん。
しつこい謝罪が何かを生み出すとは思えない。
大事なのは分析と対応。
なぜそれが起こったのかをパーツ毎にバラして
どこに問題があったのかを明確にする。
その中で、仕組みの問題、人的な問題等々、 改善すべき点が見えてくる。
そこを明確にし、どう改善すれば良いかを決める。
謝罪も含めた問題解決はそこで初めて成立する。
「すべて私の責任です」は「もう何も言ってくれるな」ってこと。
シャッターガラガラだから、その先がない。
一見潔いが、責任は果たしていない。
問題解決を論理的に組み上げていくのがリーダーの仕事なのに。
問題が起きた瞬間頭に浮かぶのは、
「まずい」「怒られる(?)」「なんとかしなきゃ」 なのは人の常。
そこで思考が止まるか、先まで踏み込めるかが分かれ目だ。
心のこもった謝罪は、踏み込むための通過儀礼で良い。 (とワタクシは思っている)
逆に言えば、そこで終わらないでねってこと。
その場をやり過ごせても力はつかないし、評価もされないのだ。
実はワタクシもリーダー的な役割をしているが、
問題に対する責任はしっかり切り分けたいと思っている。
避けられないのが、リーダーとしての管理責任と同義的責任。
一方、問題の具体的な部分については責任というか問題の居場所を明確にし、
正しく切り分けて責任を取り、改善を考えるようにしている。
何でもかんでも誰かがかぶれば良いってことではない。
それが評価されるのはドラマの世界だけ。
現場の仕事で欲しいのは、具体的な対応と改善策以外にない。
ミス、漏れ、色々あるよ、人間だもの。(byみつを)
その先に踏み込もう。
一緒にね。
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