路上ライブとか、お世話になりましたとか。

テニス

よく朝の情報番組の定点カメラで映る新宿駅南口。
夜になるとたくさんのストリートミュージシャンが演奏しているのだが。

路上ライブ禁止なのね。
賑やかでいいと思うんだけど。
昔の原宿ホコ天とか、竹の子族、ローラー族、ローラースケートチームとか、
たくさんの若者が遊んでいて楽しかったよね。
って言うと、年齢がバレる。
原宿ホコ天はバンドのメッカというのはその次の時代ね。

さて、結局は助けられてここまで来た。

ワタクシ、ここで何度も書いてるけど、テニスエリートではない。
戦歴もコーチ実績も人脈も、ついでにお金もないままに職業コーチなった。
しかもほぼフリーに近い形で。
まさに徒手空拳。

駆け出しの頃は試合に行くガソリン代にも困る生活。
それでも何とかやってこれたのは、周りにたくさんの方がいたから。

毎日のようにご飯に連れて行ってくれたり、
家に呼んでくれてご飯を食べさせてくれる会員さん(と、ご家族)。
テニスシューズを買ってくれたオーナーさん。

毎日練習をつけてくれた近所のテニスクラブの先輩コーチの皆さん。
仕事が終わるとビリヤードに連れて行ってくれて、ご飯も食べさせてもらった。

試合の前日は自宅に停めてもらい、奥様にお弁当まで作ってもらって、
一緒に試合に連れていってもらった。

あの頃、たくさんの有名な選手とかコーチと試合をさせてもらった。
有名女子選手のお父様で名門実業団の選手とか、
後年、日本テニス協会の取りしきりをされていたジャパンオープンにも出た方とか、
名門テニスクラブのオーナーさんや、名門テニスクラブのヘッドコーチとか。

業界で名前を知らない人はいないような、雑誌に載っているような
雲の上の存在の皆さんと関われるのが試合だった。

そんな皆さんに試合の後、合間に声をかけまくった。
「自分はコーチになりたてなんですが、テニスコーチの将来ってどう考えてますか」

今思えばとても失礼な話だ。
有名なコーチの方々に「あなたの将来のプランは?」と聞いているのだから。
それでも何らかの答えをくれた方もいたし、「あまり考えていないんだよね」って方もいた。
今思うと、テニスクラブのオーナーの息子さんとか、将来の心配がない方もおられた。
そりゃあワタクシとは別世界の方だから、答えようもなかったのだろう。

試合ではもちろん全然歯が立たないし、レベルの違いを思い知って帰ってきた。

後年、「昔、試合をさせていただきまして」とご挨拶しても、
ほとんどの方が憶えてくれていなかった。
当たり前である。(苦笑)

そんなこんなで、20代の頃はとにかくたくさんの皆さんが総ががりで面倒を見てくれた。
今思うと普通じゃないくらいに面倒を見てもらった。

なんだろう。
特段の愛想もないワタクシなのに。
よくわからないがかわいそうに見えたのだろうか。


その後も、人に助けられる人生は続く。
ほぼフリーから入社したスクール運営会社では思うように仕事をさせてもらえた。
大変なことや、悔しいことや、頭に来たこともたくさんあったが、
「これからのテニススクールはこうあるべき」を具現化させてもらえたのは貴重な財産だ。

ワタクシの仕事のサポートをしてくれた方もいた。
母親くらいの年齢の方だが、担当のシステム構築からその運用まで手伝ってくれた。
ご主人も一緒に助けてくれた。

しょっちゅう家にお邪魔して、ご飯をご馳走になっていた。
お昼も毎日のようにお弁当を作ってくれた。

夏休みは別荘に呼んでくれて、歳の近い息子さんたちとテニスをしたり、
お酒を飲んだりとリゾートライフを体験させてくれた。


毎晩ご飯に呼んでくれた会員さんもいた。
仕事が終わって帰りに寄ってご飯をご馳走になってから、
家に帰るのが定番の時期もあった。

何にも持っていない、何もお返しも出来ないワタクシに
関わった皆さんがとても良くしてくれた。

皆さんに助けられて、少しずつ大人になった。

恩返しは出来ていない。
お世話になった皆さんにお礼を言うツアーを組みたいくらいだ。

辛いこともあったけど、トータルではとにかく人に恵まれたこれまでだと思う。
自販機の当たりはあまり出ないタイプだけど、人との出会いにおいては強運だと思う。

今もたくさんの方にお世話になっている。
そろそろ恩返しとか面倒を見る側にならないとなと思いつつ、
やっぱり今もたくさんの方に支えていただいているラッキーがある。

先日のちょっとした節目にこれまでを振り返ってみて、
別の話を書くつもりだったのだけど、気づけばこんな話になっていた。

とにかく思い起こすほどに感謝しかない。
ホントにありがとうございました。


ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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