新撰組とか、神和住さんとか。

テニス

新宿御苑外周あたり。
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沖田総司逝去の地だそうだ。
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こんなところにあったとは。

そういえば、板橋の駅前には、近藤勇終焉の地があった。
余裕が出来たら、こういう場所を訪ねて歩くのもいいなぁ。
いつ出来るか分からないけど。

 

さて、ネオイドアテニスクールに西新井にて。

ふとロビーのテレビを見たら、白いテニスウェアにクレーコート、
スライスバックハンドが映っていた。

昔のテニス?と思い、近づくと。
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神和住純さんが出演されていた。

神和住さんといえば日本のテニスプロ第一号。
日本人として初めてプロツアーで戦った方。
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スタンスミスなど当時のトッププレーヤー相手に互角に戦い、
勝ち星を挙げるなど、今だと錦織圭のような存在だった。

華麗なスライスで鬼のようなネットプレーが武器。
ファイターでルックスも良い。
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そりゃぁ、カッコよかった。

ワタクシがテニスをはじめた頃は、
神和住、久喜の時代から福井烈時代に遷り変わりの時だったが、
この3選手が戦う写真がテニス雑誌の巻頭記事を飾っていたものだ。

そうそう、今のテニス誌の巻頭は技術解説かグランドスラムが定番だが、
昔は表紙にも巻頭にも日本の記事が多かった。
神和住さん、九鬼さん、福井さんはもちろん、インターハイでの柳川商業や、
早実の藤田さんなども表紙になっていたっけ。

昔はインターネットもビデオも無かったし、情報は雑誌のみ。
選手のフォームを食い入るように見て練習をしたものだ。
歳が分かるな。

何にしても神和住さんも福井さんも大スターだった。
特に神和住さんはカレーのコマーシャルに出ていたほどのスターだった。

ということで、高校時代はずっとカワサキの神和住純モデルを使っていた。
これが現物。
kawasaki00
手前から初期モデル、後ろは後期モデルだ。

初期モデルはシャフトにサイン入り。
kawasaki01

数年後にサインなしモデルになった。
kawasaki02
契約が切れたのかな。

この少し後はウッドラケットからグラファイトへの移行期。
このモデルも廃盤になっていたのか、なりかけていたのか
手に入らなくなった。

ある時、稲毛駅ビル(千葉市)のスポーツショップの前を通ったら、
ワゴンで安売りされていたのがこれ。
kawasaki03
神和住純モデルの新品、そしてなぜかダブルハンドグリップ。
時代の流れに合わせようとしんだろうか。
これが最後に購入したカワサキのウッドラケットになった。

あ、そうそうこんなものも。
kawasaki05
インターハイ会場で売っていたラケットカバー。
福井さんにサインをいただいた。
人生で初めてサインをしてもらったテニス選手だ。
もちろんもったいなくて、一度も使っていない。

お昼のNHKで話す神和住さんを見ながら、色んなことを思い出した。
神和住さんとはゴルフコンペや試合会場で何度かお会いし、
紹介いただいたこともあるが、おそらくワタクシのことは
記憶の片隅にもないと思う。
やはり雲上人である。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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コメント

    • 渡辺
    • 2023.08.22

    懐かしいです。私も高校生からテニスを始め。神和住淳モデルを3本使いました。のちにフタバヤのゴールデンショットに変えましたが、固めでトップのきいた神和住モデルはとても気に入っていました。
    九鬼さん、懐かしいですね。部活の練習に来ていただいたことがあります。模擬戦では少しだけストロークに付き合っていただきましたが、最後の数分は九鬼さんのサーブを返せなくてあっという間に終わってしまいました。
    プロの凄さを実感しました。

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