ブルワリーとか、エース逝くとか。

音楽

近所に地ビールのブルワリーがある。
1杯1,000円は安くはないけど、とても美味しいのだ。

MAKUHARI BREWERY


さて、訃報である。

ロックバンド KISSのギタリスト、エースフレーリーが亡くなった。
公式サイトトップにも「REST IN PEACE ACE」と。

もう74歳だったのね。

そりゃそうだよね、ワタクシが中学の頃に大人気だったから。

小学3年くらいにフォークソングを覚え、井上陽水や吉田拓郎、かぐや姫を聴きまくったワタクシ。
欲しくてたまらなかったフォークギターを中学の入学祝いで買ってもらった。
「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」とアリスがコマーシャルで言ってたモーリスギター、たぶん12,000円くらい。
実はこのギターだけは今も持っている。
親に買ってもらった初めてのフォークギター、これは捨てられない。

が、中学に入り、突如ロックに目覚める。
ビートルズに始まり、DEEP PURPLE、QUEEN、そしてKISSを聴きまくった。

当然の流れで、友達と「バンドをやろう!」となる。
友達の須田くんに月賦でドラムを買わせ、
ワタクシは親戚のお兄ちゃんから借りたエレキギター(ノーブランドのテレキャスター)、
山田くんはヤマハの安いベースを買った。

こんな編成だとQUEENは無理。歌えないし。
キーボードがいないし、技術も追いつかないのでDEEP PURPLEも無理。
じゃあ、KISSだねとなった。

中学生なのでお金もなく、スタジオなんか借りられない。
アンプもないから、無理やりラジカセから音を出すしかない。

須田くんの家に集まり、小さな音でこそこそと練習をする。
ドラムは太鼓の上に少年サンデーを置いて音が出ないようにした。

が、どうにもこんなのロックじゃない。
須田くんの4畳半の部屋で小さな音じゃ、これこそフォークだ。

どうしてもロックをしたくなったワタクシたち。
ラジカセのボリュームを最大にして、ドラムの少年サンデーを取っ払った。
そしてKISSの名曲「LOVE GUN」のイントロを。

ダダダダ!ダダダダ!ダダダダダダダ!
イントロの半分も終わらないうちに、須田くんのお母さんが飛び込んできた。
「あんたたち、何やってんの!!やめなさい!」
まる子のお母さんばりに怒られた。
そりゃそうだ。(笑)

KISSの初来日ライブにも行った。
当時は新幹線がなかったから、福島から東北本線ではるばる東京へ。
須田くん、山田くんと3人だ。

ど迫力のライブの後、武道館から出てくる人波に揉まれて、2人とはぐれてしまった。
夜の東京。初めての場所。
自力で帰るしかない。
道ゆく人に勇気を出して聞いてみた。
「福島に帰りたいのですが、どっちに行けば良いですか」

道を教えてもらい上野駅にたどり着いた。
ホームに向かうと、須田くんと山田くんがいた。
小さな大冒険だった。

そんな思い出のKISS。
誰が好きだったということもないが、シンプルなロックンロークは最高だった。

Chat GPTにエースフレーリーのイラストを描いてもらった。

ちょっとギターが大きくてバランスが変だけど、
この3ピックアップのレスポール、欲しかったなぁ。
当然、ギブソンは夢のまた夢だから、グレコのコピーモデルでも良かった。

これの黒バージョンのピーターフランプトンモデルも欲しかったっけ。
どっちもたまに中古で見かけるけど、当時6万円だったのに中古が10万円オーバーってどういうこと?

なんてことを思い出しながら、今宵はエースに献杯である。

ロケンロール!

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE