KALDI コーヒでゲット。
期待を膨らませてパンにつけてと、
あんこバターパンでした・・・(当たり前)
さて、仮面浪人な19歳児。
とりあえずで大学に入学はしたのだが、学校の勉強も山盛り。
そんな中で果たして受験勉強が出来るのだろうか。
幸運な要素はコロナ禍で授業の半分近くがリモートだったことだろうか。
千葉から日吉の校舎に通うのは、まあまあ大変。
それが半分になるだけでも時間的には助かったはず。
授業で学校に行くのは体育の時間とか、行かないとどうにもならない授業中心。
ちなみに体育はテニスを選択したらしい。
あのコートで坂井監督が教えてくれるそう。
初日で、「君、テニスしてたの?」と声をかけられ、
名前を言ったら、「もしかしてRECの?」ってことになったとか。
「なんか、先生、お父さんのことを知ってるような感じでした」
って、そりゃそうだわ。
JPTT・盛田正明杯の時、坂井監督に
「息子さんに授業受けていただいています」と挨拶いただいたっけ。
なんか逆な気がするけど。
そんな大学生活を送りながら、ほとんどの時間を勉強に費やす19歳児。
たまに「日向坂のライブに行っていいですか」的な息抜きもあったけど、
大学生ってこんなだったっけってくらい、とにかくずっと勉強していた。
ちなみにワタクシの大学生活は・・・
アルバイト
サイゼリアで夜食
お姉さんがたと飲みに行く
朝帰り
昼頃起きる
学校に行ってみる
まずは学食でカレーを食べる
友達に会う
誘われて遊びに行く
アルバイト
のループ。
そこにサーフィンやテニスやら・・・
授業に出るヒマなんてなかったけどなぁ。
当時の大学生は皆そんなだったよね。(間違ってる?)
とにかくワタクシの子供とは思えないほどに勉強をする19歳児。
それを1年間続けた。
「ホワイトボードを買ってください」と言うのでホームセンターで購入。
えーと、何書いてるのかよくわからない。
点数予想?ボーダーライン?
何度も解いては消しゴムで消して、また解き直した過去問題。
そして迎えた共通テスト、そして個別テスト。
正直、これで納得するなら結果はどっちでもねって思ってた。
あれだけやってたら落ちるわけないとも。
結果、19歳児は見事にリベンジを果たした。
まあ、後半の模試では東大も行けそうだったし、受かるわな。
「どうする?」
「うーん、ちょっと考えます」
リベンジしたかっただけなのかな。
このまま慶応だといくらかかるんだろう。
でも、どっちでも好きな方にって言ってあるしな。
結果、国立を選んだ19歳児。
慶応大学に退学届を出しに行ったら、学校からワタクシに電話。
「ご子息が退学手続き来られましたが、ご承認されてのことでしょうか」
確認入るのね。
「はい。1年間お世話になりました。ありがとうございました」
とお礼を言い、慶応大学にさよならをした。
ちょっともったいない気もするけど、家計的にはめっちゃ助かった。
なんか、あっという間だったけど、しっかり初心を貫いた19歳児。
キミはすごいなぁ。
ホワイトボードもリセット。
これからは大学の科目が並ぶのかな。
1年間お疲れさま!
まずは少しのんびりしたらどうだろう。
ひとまず一緒にテニスしないか?
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